<お侍の漢字で七のお題・日羽編>





     <勘>

 キュウゾウは勘がいい。
 敵の気配や痕跡などを見付けるのは大概キュウゾウだったし、極僅かな物音ですら
他の誰よりも早く察知する。仲間内で一番底が硬くて厚そうな靴を履いているくせに、
まるで地面からの震動を裸足で感じているかのような正確さだ。おまけに鼻も利く。
 無論、その全ては戦の為に培われて来たモノである筈なのだが。

「……おい」
「!!」

 突然掛けられた声に、キクチヨはびくりと体を震わせる。
 キュウゾウは気配を絶つのも上手い。
 元々ぐるぐると考え事をしていた所為でもあるが、それまで完全に絶っていた気配を
背後でいきなり発生させるのは(もう無いけれど)心臓に悪い。
 しかも今、最も会いたくない相手の気配だ。

「な、何でぇ」
「……こちらを向け」
「っんで、オメェに命令」
「こちらを向け」

 有無を言わせぬ口調に、思わずもう一度体が跳ねる。
 同じ台詞の筈なのに、重みが違い過ぎる。寧ろ怖い。怖過ぎる。
 恐怖に駆られてキクチヨはキュウゾウを振り返るが、全身が錆び付いたように上手く
動かない。メンテナンスを受けたばかりの体が、もう油切れになってしまったようだ。
 恐る恐る振り返ると、二歩程離れた距離にキュウゾウが立っている。相変わらずの
仏頂面だ。
 しかし、その仏頂面が酷く恐ろしく見えてしまうのは何故なのか。
 否。キクチヨは知っている。
 この男がここまで不機嫌になる理由を、今のキクチヨは一つしか知らない。
 だが同時に、キュウゾウに知れる筈が無いともわかっている。
 わかっているのだが。

「隠しているな」
「!!!」

 キュウゾウが知る筈の無い隠し事を、何故か知っているのもわかっているのだ。
 例えどんなに上手く隠し通していると思っても、キュウゾウには通用しない。絶対に
確実に、いつの間にやら綺麗さっぱりバレているのだ。

「べ、別に何も隠してなんか……」
「…………」
「ほ、本当だって!!」
「………………」
「……………………」
「…………………………………………キクチヨ……………………………………」

 きっちり十秒後。

「…………ごめんなさい隠してました…………」

 地を這うようなキュウゾウの一声に、キクチヨはあっさり陥落した。



「また、奴か」
「…………」

 すっかり観念したキクチヨは取り繕うこともせず、無言で頷いた。仁王立ちしている
キュウゾウの前に正座させられている姿はまるで、叱られる子供のようだ。

「……何を言われた」
「諦めねぇ、って」
「…………」

 キクチヨの返答に小さく溜息を付くキュウゾウ。まあ、予想通りの答えである。
 キュウゾウは膝を付き、キクチヨの鉄の頬に指を這わせた。機械の目がこちらを向く。

「キクチヨ」
「……おう」
「――――愛している」

 囁いて、そっと口付けた。肩がびくりと跳ねるのがわかる。

「ッ、キュウ……」
「渡さぬ。奴にも、他の誰にも」

 いとおしげに見詰めて、もう一度唇を寄せた。
 誰彼にも、惜しみなく笑顔を晒すキクチヨだから。

「お前は、俺のものだ」

 この男の中で、キクチヨに関する事は戦と同じか、それ以上に楽しくそして恐ろしい
事であるのだと。
 そんな風に思われている事など、全く知らないキクチヨだった。





     終わり





浮気(違)を目敏く言及する旦那・キュウゾウ(爆)。嫉妬モード全開です。
日羽にしてはかつて無い程にキュウキクですよ!(何がだ)珍しく亭主関白?
浮気のお相手(笑)はご自由に想像しちゃって下さい♪





     <菊>

「うわぁ、すごいです!」
「ほぉー、こりゃてぇしたもんだぁ」

 追いかけっこをして遊ぶ内に土手に差し掛かった二人は、一面に咲く色取り取りの
花畑に歓声を上げた。コマチは飛び込むように花の中へ駆け込んで行く。

「これだけあったら、冠も首飾りもいーっぱい作れるですね!」
「俺様そういうのはちょっとなぁ……」
「大丈夫大丈夫、オラが教えてやるですよ」



「コマチ。何をやっているのですか?」
「あっ姉さま! おっちゃまに首飾り作ってるです!」

 キララの呼び掛けに一瞬顔を上げるも、コマチはすぐに手元に目を落とした。小さな
手の中では、それぞれ違う色の花が交互に編み込まれて行く。その正面に腰掛けた
キクチヨの体のあちこちには、コマチの手による花飾りが無数に括り付けられていた。
 頭の天辺には冠。金の鍬形の先にも、可愛らしくちょこんと花が引っ掛かっている。
両手首には腕輪、手袋をした指に指輪が幾つか。両肩の大袖にも花輪が掛けられ、
まるで絽か紗を羽織っているようだ。

「あら、まぁ。これではキクチヨ様が菊人形になってしまいますね」
「菊人形?」
「って何ですか?」
「菊の花を使って作る、お人形の事です。とても綺麗なんですよ」
「へぇ〜、そんなモンがあるとは知らなかったぜ」
「キクの字も菊だから、丁度いいです!」
「何が丁度いいんだよ……あれ? てー事はこの花……」
「ええ。このお花全部、小菊ですよ」
「わあ、これ全部キクの字ですか! 凄いです!」
「いやコマチ坊、それは違うぞ……」
「じゃあ、早く首飾りを完成させるです! おっちゃま、ちょっと待ってて下さいです!」

 子供らしいよくわからない理屈を頭の中で完成させて、コマチは作業に戻った。
 キクチヨは時折コマチの手に視線を投げ、居心地が悪そうにほんの少しだけ身動ぎ
する。元来、じっとしてはおれぬ性質のキクチヨだ。本当ならば寝転がったりしたいの
だろうが、彼の大味な動作に掛かっては花飾りなど容易く千切れてしまうだろう。
 自分の為にと一生懸命作ったコマチの気持ちを無碍には出来ない。
 だから、キクチヨはコマチの気が済むまで殆ど動かずに耐えているのだ。
 粗野な振舞いの中に隠された繊細な気遣いを察して、キララは笑みを深くする。
 しかし、編み終わった花の長さを見るに付け、そう簡単には終わりそうも無い。何せ
キクチヨの頭部には突起が多い。人間よりもかなり体格のいい首に飾るには、それも
考慮して通常より大分長く作らねばならない。よって後回しにされていたのだろう。

「コマチ、そろそろ。続きはまた明日になさい」
「え〜」
「キクチヨ様のお食事が遅れてはお可哀想でしょう? それにお花は逃げませんよ」
「……はーいです」

 至極残念そうに口を尖らせて、それでもコマチは渋々立ち上がった。

「飾りは私がちゃんと持って帰りますから、コマチは先に戻って婆様のお手伝いを」
「はいです!」

 元気良く走って行く妹を見送って、キララはキクチヨに飾られた花をそっと取り外す。
漸く開放されて、キクチヨは溜息代わりに勢い良く蒸気を噴いた。その拍子に懐から
赤いものが滑り落ちる。逸早く気付いたキララが手に取ると、それは随分不恰好だが
確かに赤い小菊の花飾り。コマチが作った物と違って、赤一色の小さな花輪。
 その拵えに、キララはある確信めいた印象を抱いた。微笑んで作り主に差し出す。

「あ。あー、一応教わったんだけどな、俺様の手じゃコマチ坊みてぇに上手くは……」
「そんな事はありません。見た目の良し悪しより、相手を思う心が大事ですよ」

 虚を衝かれたようにキララを見るキクチヨに、ゆったりと笑みを向ける。

「ご存知ですか、赤い菊の花言葉は――――……」



「おいこらキュウタロー! 受け取りやがれ!!」

 突然怒声と共に投げて寄越された花飾りを、キュウゾウは繁々と眺めた。

「何だ、これは」
「なっ……何でもいーだろが! あ、ありがたく受け取れこの野郎!!」
「……かたじけない」

 わけがわからず、しかしそれでも律儀に礼を述べるキュウゾウ。が、当のキクチヨは
その返事も聞かずに脱兎の如く逃げ出してしまった。
 頭の中が疑問符で一杯のキュウゾウに、笑みを浮かべたキララが歩み寄る。

「キュウゾウ様、良い事を教えて差し上げます」
「……?」

 キララの言葉を受けてキュウゾウがキクチヨを追い掛けるのは、もう少し後の事。





     終わり





基本的に受はノン気受派(ぇ)な日羽ですが、何故かキクたんがツンデレ化(笑)。
この後二者間で花の叩き付け愛が始まります(爆)。まぁ、お互い大好きなんだって事で。
赤い菊の花言葉は、「あなたを愛します」





     <勝>

 今まで、負けた事などただの一度も無かった。
 初めてこの手に剣を取り、初めて人を斬った時から、一度も。
 それは、知らぬ内に己の矜持となっていたのだろう。
 だからこそ、易々と斬らせなかったあの男に興味を持った。
 何としてもあの男を斬って、勝ちたかった。
 サムライとして、久し振りに出会った骨のある相手に。
 それ程までに、己は『勝ち』に拘っていたのだ。
 だが。



「あれ?」

 僅かに残響のある足音を響かせて、木々の間から鋼鎧の巨体がその姿を見せた。
こちらに気付くと小走りに駆け寄って来る。

「何やってんだ? こんな所で」
「…………」
「あ、ひょっとしてオメェも資材調達か? 俺様もなんだよなー」

 黙って視線を投げると、聞かれてもいないのにべらべらと喋り出す。つくづく、己とは
全く違う人種だ。正反対と言っていい。そうこうする内に、背後から数人の男がやって
来るのが見えた。手伝いに寄越された村人たちだろう。

「おう、オメェら遅ぇぞ! こっちだ!」

 鎧が振り向いて声を上げる。早過ぎる、などとぼやく村人の声を聞きながら、一対の
刀を抜く。軽く振るえば近場の木が二本、音を立てて倒れた。小さな悲鳴が上がる。

「オメェ……」
「…………使うのだろう」

 刀を収める己をまじまじと見詰めて来る相手に短く告げ、踵を返した。すると大股で
追い越され、立ち塞がられる。
 何のつもりかと見上げれば、にかりと満面の笑みを浮かべた。機械であるのに何故
笑っているとわかるのか。自分でも不思議だ。

「ありがとな!」
「…………」

 礼を言うような事だろうか。
 奇妙な行動に反応が遅れていると、大きな手が伸びて頭に触れた。少し乱暴にかき
乱される。

「……?」
「オメェ折角見た目がいいんだから、もちょっと気にしろよ。頭に葉っぱくっ付けたまま、
なんて女共が泣くぜぇ? カツの字の次くらいに人気あるんだぜ、オメェは」

 頭に木の葉が付いているのと女に何の関係があるのか。
 全く解せなかったが、取り敢えず気遣われたと言う事なのだろう。

「……かたじけない」
「おう、気にすんなって!」

 ああ。
 また、笑った。

「よーっし野郎共、さっさと運ぶぜー!」
「へい」

 あっさりと目の前を離れ、村人たちの所へ戻って行く。その後ろ姿をほんの少しだけ
見遣って、その場を離れた。

「…………」

 まともに話し掛けられたのは、初めてかも知れなかった。
 恐らく、笑顔を向けられたのも。
 あんな笑い方が、この世にはあったのだ。

「キクチヨ…………と、言ったか」

 己が身形を気にしなければ、あの男はまた笑うのだろうか。
 あの笑顔をもう一度見る為には、どうすればいいのだろう。

 そのように考える事は、どこか、何かに、負けている、よう、なのだが。

「……悪くは、ない……」

 『負け』ても構わぬと、今なら思えるのだ。





     終わり





ギャグ抜きで(笑)恋の始まり、だと多分こんな感じ。惚れた弱み?
結構プライドは高めなんじゃないかな、と思いますキュウゾウ。表に出ないだけで。
それ以来キュウゾウはキクたんの周りを頻繁にうろちょろするようになったとか。





     <五>

「なあ……楽しいか?」
「…………」

 少しうんざりしたような声で呼んでも、目の前の男は特に気にした風もなく頷いた。
その手は相も変わらずキクチヨの手袋を外した左手を弄り続けている。
 さっきから延々と。お陰でキクチヨは動く事もままならない。

「………………はあ」

 溜息を付いて、自分の手を放さないキュウゾウの顔を見詰めた。
 キュウゾウは、好きだ。と、思う。
 表情に乏しい上に滅多に喋らないから、何を考えているのかよくわからない。でも。
 真っ直ぐ見詰めて来る赤い目とか、耳に心地よい低い声とか。
 キュウゾウの指の長いひんやりした手は、好きだ。
 この指に触れられると、冷たさを感じる事が出来る。
 自分は生きていると、感じる事が出来る。
 この無機質な機械の体でも。
 けれど。
 どうして自分なのだろう、と思う事がある。
 キュウゾウなら中身はともかく見た目はいいのだから、女どころか人間の柔らかさも
暖かさも持たない機械など相手にするまでもないだろうに。
 それなのに、キュウゾウはキクチヨを放さない。
 始めにそっと、最後にはしっかりと。
 キクチヨを捕らえて放さないのだ。

「キクチヨ」

 突然呼ばれて、キクチヨは思考に沈んでいた意識を浮上させる。視線を上げると、
キュウゾウの赤い目がこちらをじぃ、と見詰めていた。

「キュウ……」
「好きだ」

 余りに率直な言葉に思わず握られた手を引っ込めようとするが、キュウゾウの力は
思いの外強く取り戻す事は適わなかった。諦めて腕の力を抜くと、満足そうに笑って
その長い指をキクチヨの指に絡める。

「お前の手は、好きだ」

 キクチヨの目を見据えたまま、赤い鉄の指先に口付ける。軽く触れるだけの唇に、
何故か酷く狼狽してしまう。指先から漏電しているかのような、そんな感覚だ。
 キュウゾウはそんなキクチヨの反応を楽しむように、一本ずつゆっくりと全ての指に
唇を寄せる。

「この指も、腕も」
「ッ……」
「頭も、体も、足も、全て。お前の五体が好きだ」
「ばっ、か言えよ……ッ!」

 こんな機械を愛でてどうする。
 何も返せないこんな体を。

「俺は機械なんだぞ……」
「何か、問題があるか」
「あるに決まってんじゃねーか! 俺はなぁっ……!」

 不意に、手を握る力が強くなる。

「全て、お前の一部だ」

 己の物より大きな手を強く握り込んで、キュウゾウは先程よりも笑みを深くした。
 赤い瞳が熱に浮かされたように、僅かに色を変える。
 その眼差しに縫い止められて、キクチヨの視線は動かせない。

「だからこそ……いとおしい」

 ああ、また捕まった。





     終わり





ひたすらいちゃいちゃ。





<平>

「オメェってよぉ……ほんっとーに無表情だよなぁ」

 胡坐をかいた膝の上に頬杖を付いて、呆れたような、しかし笑みを含んだ声で。
 そう言われたのはいつの事だったか。
 あの柔らかな声が、今は遠い。

「ッてめー! 人の話聞いてねぇのかよ!!」

 しまった。今は呑気に過去を振り返っている場合では無かったのだ。
 そう気付いた時には既に遅く。キクチヨの機嫌は更に急降下した後だった。

「……すまぬ」

 ここで「そんな事は無い」とでも言えればいいのだろうが(表情が全く動かないので
嘘をついても確実にばれない)、生憎とキュウゾウにそんな気の利いたあしらい方が
出来よう筈も無い。キュウゾウの口下手は折り紙付きだ。大体、それが出来ていたら
今現在こんな事にはなっていない。
 こういう馬鹿正直な所がある意味キュウゾウの美徳とも言えるが、今の状況では逆
効果である。

「――――もういいッ!! テメェなんかでぇっ嫌ぇだァ!!!」

 油を注がれた火の如く怒りを爆発させ、キクチヨは捨て台詞を吐いて走り去った。
 いつもよりがしゃがしゃがしゃと煩い足音は通常の三倍の速さである。

「………………ッ」

 一方、キクチヨの堪忍袋の尾を華麗に切り捨てた張本人は相変わらずの無表情の
まま、呆然と突っ立っていた。と言ってもその無表情故に、一見ただ立っているだけに
しか見えなかったが。



「はあっ、はあっ……」

 漸く足を止めて、キクチヨは肩で大きく息をする。
 森の中を滅茶苦茶に走り回って、いつの間にか村外れの丘に出て来てしまっていた。
ここは眺めが素晴らしくキクチヨのお気に入りの場所だったが、今の荒んだ気分には
高く澄んだ青空さえ憎らしい。
 キュウゾウは追っては来ないようだった。
 深呼吸をして、荒い息を何とか落ち着ける。

「はー…………」

 キュウゾウと喧嘩をしたのは、これが初めてかも知れなかった。喧嘩と呼べるような
ものかどうかも疑わしい一方的なものだったとしても、キクチヨにとっては喧嘩だった。
 原因は覚えていない。それくらい、どうでもいい事だった筈なのだ。
 けれど、何を言ってもキュウゾウは殆ど無言で。何か返したかと思っても精々「ああ」
とかその程度である。
 その平然とした態度が妙に癇に障って、気が付けば自分でも引っ込みが付かない
程に声を荒げてしまっていて。

「……ホント、わかんねぇ……」

 キュウゾウはいつだってそうだ。どんなに人を斬ってもどんなに美味い飯を食っても、
その顔に感情を浮かべる事は無い。愛を囁く時でさえ、微かに微笑むだけ。
 それではキクチヨにはキュウゾウの心が見えない。
 いつも自分ばかり翻弄されている気がする。
 それが気に食わなかった。

「ちっくしょ…………キュウタローのバカヤローッ!!!」
「!!」

 天に向かって吠えたと同時に背後で枝を踏む音がして、キクチヨは振り返った。

「あ……」
「…………」

 そこにあったのは、珍しく気配を消し切れていないキュウゾウの姿。音を立てて己の
存在を気取らせるなどと、とてもこの男のする事とは思えない。一体何故。
 キクチヨは余りに意外な出来事に、先程までの怒りも忘れてキュウゾウを見た。
 本人は相も変わらず能面面だったが、何か考えているようにも見受けられる。

「ッ!?」

 矢庭に、キュウゾウが間合いを詰めた。素早く伸びた片腕に突き倒され、キクチヨは
がしゃんと盛大に尻餅を付く。突然の暴挙に抗議をしようと顔を上げた瞬間、視界が
赤で覆われた。端に僅かに見える肩口に、抱き締められているのだと理解する。

「なっ……ちょ、」
「――――――すまぬ」

 慌てて逃げ出そうとするが、頭の上から聞こえる困窮し切った声音に動きを止めた。
 さっきと言い今と言い、キュウゾウらしからぬ言動に二の句が継げない。
 そしてキュウゾウの方も、胸に渦巻く正体のわからないものを対処する術を持たず
困惑していた。お陰で全く調子が出ない。ただでさえ拙い言葉が余計に鈍る。

「…………好きだ」

 何とか紡ぎ出せたのはその一言。それ以外の言葉を今のキュウゾウは持たない。

「好きだ」
「…………」
「好きだ」
「……キュウ……」
「好きだ」
「キュウ、ゾウ」
「好きだ」
「………………だあぁっ、うるせぇ!!」

 再び爆発したキクチヨに無理矢理引き剥がされる。しかし、その身に纏う空気は怒り
ではなく。

「わ、悪かったよ! もう怒ってねぇから、そんな声出すんじゃねぇっての!!」
「…………」

 目線を逸らして叫ぶように言うキクチヨに、キュウゾウの中の何かがすっと消える。
あんなにも煩く逆巻いていたものが、跡形も無く。
 その代わりに浮かぶのは淡い微笑み。
 キュウゾウの気配が変わった事に気付いてうっかり顔を上げてしまったキクチヨは、
常では見られないような穏やかなキュウゾウの気色を目の当たりにして硬直した。
 そして、気付いてしまった。
 平然としたキュウゾウの顔の下には、その実激しい程の熱が隠れていたのだと。
 自分は彼が寡言である事ぐらい知っていた筈なのに。
 それを忘れて、勝手に腹を立てて。

「……キクチヨ」
「な、んだよ」
「好きだ」
「……ッ」

 赤面する代わりにぽふっ、と小さく蒸気を噴くキクチヨの額にそっと口付け、もう一度
腕を伸ばす。
 今度は、抵抗しなかった。





     終わり





そう言えばまだキュウキクに痴話喧嘩させてねぇなぁ、と思いまして(笑)。
キクチヨに「大嫌い」と言われて内心めっちゃ凹んでたらいいですキュウゾウ(爆笑)。ヘタレ万歳。
真っ直ぐ故に擦れ違ったりする不器用カップルキュウキク。





     <七>

「ねんねーんころーりーよ、おこーろーりーよー♪」

 家の中に、少し調子っ外れな子守唄が響き渡る。閉めた襖の奥から聞こえて来る
少々小節のきいた歌声に、囲炉裏を囲んでいたサムライ達は思わず顔を見合わせて
微笑み合った。
 コマチが風邪を引いた。
 しかし風邪と言っても特に咳をするでもなく、少し熱がある程度の軽いものだ。
 キララに付いて街まで出向き、再び村に帰って来るまでに色々な事があった。明るく
元気に振舞っていても、幼い体にはやはり応えたのだろう。
 今日一日は安静にと寝かし付けたのだが、朝から寝たり起きたりを繰り返した為か
夕方になる頃にはすっかり目が冴えてしまったようだった。眠くないと訴えるコマチに
キクチヨが「なら寝られるように子守唄を歌ってやろう」と申し出て、この状況である。

「ぼうやーはよいこーだ、ねんねーしなー♪」
「おっちゃま、音痴です」
「うっせーぞコマチ坊!」

 きゃはは、と小さな笑い声の後、再び歌が再開される。
 傍目には演歌風の子守唄もどうかと思うのだが、歌われる本人は結構楽しんでいる
ようだった。



 それから半時も経たぬ内に、いつの間にか静かになった部屋の襖がそっと開いて
キクチヨが顔を出した。足音を立てぬように部屋を出、後ろ手に襖を閉める。と、目の
前に握り飯の盆が差し出された。見るとシチロージが穏やかに微笑んで立っている。

「眠ったかい?」
「おう」

 笑顔で受け取り、早速食べ始めるキクチヨに笑みが零れる。

「それじゃ、あたしは仕事があるのでこれで」
「ん、ありがとな」

 槍を携えてシチロージが出て行くと、家の中は無人になる。急に落ち着かなくなって、
キクチヨは火の近くに腰を下ろした。この所慌しかったから、静けさが妙に慣れない。
 そんな事をぼんやりと考えていると、戸の軋む音に我に返った。
 顔を上げると、戸に手を掛けたキュウゾウと目が合う。

「よう」
「……」

 キュウゾウは無言で戸を閉め、キクチヨの向かいの壁に背を預けて座り込んだ。
 殆ど言葉らしい物を発しないキュウゾウだが、それでも人がいるのといないのとでは
段違いだ。少しだけ気が晴れて、キクチヨはコマチの寝ている部屋へ目をやった。
 朝に比べて顔色は随分良くなっていた。きっと明日には元気になっているだろう。

「おい」
「へ?」

 まさかキュウゾウが声を掛けて来るとは思いもよらず、キクチヨはかなり間の抜けた
声を出した。立てた膝に腕を掛けた姿勢のまま、キュウゾウの目がこちらを見ている。
 驚きと困惑で押し黙っていると、僅かな間を置いて更に言葉を重ねた。

「あれは、何だ」
「……?」
「歌っていた」
「ああ、子守唄の事か? ……ってオメェ子守唄知らねぇのかよ」

 小さく頷くキュウゾウに、キクチヨは呆気に取られる。子守唄を聞いた事が無いとは
一体どういう育ち方をしたのだろう。余程手の掛からない子供だったのか。
 確かに、泣き喚く幼い頃のキュウゾウと言うものは想像出来ない。人間である以上、
頑是無い幼児だった時代は必ず存在する筈なのだが。

「それを聞けば、眠れるものなのか」
「え? ああ、まあ……そうだな」

 つっかえながら答えて、そこでキクチヨはぽんと手を叩いた。
 何故すぐに気付かなかったのだろう。キュウゾウがここに来た理由は当然。

「そーかそーか、うんうん、やっぱりオメェも人の子だって事だな!」

 己の導き出した答えに大層満足した様子で、キクチヨは腕を組み何度も頷いた。
 そして怪訝そうなキュウゾウの隣に移動し、倣うように壁に背を凭せ掛ける。

「声がデカイと、コマチ坊が起きちまうからな」
「…………」
「オメェ休みに来たんだろ? だったら、俺様が子守唄聞かせてやるよ」

 えーとどれにすっかなぁ、などと呟きながら天井を見上げて選曲していたキクチヨは、
キュウゾウの目が僅かに見開かれたのには気付かなかった。
 やがて曲が決まったのか、小さく息を吸い込んで歌い始める。

「かーらぁすーなぜなくの、からすはやーまーにー♪」

 やはり聞いた事の無い歌だったが、声を抑えている為か不思議と耳に心地良い。
 いつの間にかキュウゾウは目を閉じて子守唄に聞き入っていた。

「かーわいーいなーなぁつーの、こがあるかーらーよー♪」

 夕暮れの光が、部屋の中を茜色に染めている。瞼の裏から滲むその血とは似ても
似付かない赤色に、キュウゾウは酷く穏やかな気分を味わっていた。
 その手が山吹色の羽織の裾をしっかりと握っている事は、誰も知らない。



     終わり





キクチヨの一挙手一投足が何故かとっても気になる時代(何)のキュウゾウ。
最初はキクチヨに可愛がられてるコマチ坊に嫉妬するとか大人気無さMAXだったんですが(爆)。
直前に書いてた「五」のラブラブに苦戦を強いられた為か、反動でくっつく前の二人になっちまいました。





     <久>

 森の中でも一際高い木の上で遠くの様子を探っていたキュウゾウは、足元に現れた
気配に視線を落とした。赤と山吹の色が枝葉の間にちらりと見える。

「おーい、いねぇのかぁー?」

 きょろきょろと辺りを見回して、誰かを呼ぶ。もしや、自分を探しているのか。
 キュウゾウは僅かに速まる鼓動をかき消すように、木の上から飛び降りた。唐突に
降って来た人影にキクチヨはかなり驚く。

「うお!? ……ど、どっから現れてんだオメェは!」
「何か、用か」
「あー、カンベエから伝令。見張り交代してちょっと休めってよ。ほい、これお前の」

 頭を軽く掻きながら片手で差し出されたのは、握り飯の包み。そう言えばもう太陽は
とっくに中天を過ぎていた。

「……かたじけない」
「おう、そんじゃな」

 小さく頷くと、キクチヨはキュウゾウの隣を擦り抜けて森の奥へ歩いて行く。恐らく、
滝の見張りをするつもりなのだろう。
 その背中を見送って、キュウゾウは胸の内に生まれた何かを握り飯で押し込んだ。



「……うし、ここも異常なしでござる!」

 崖の際に膝を付いて下を覗き込んでいたキクチヨは、膝の土を払って立ち上がった。
すぐ傍に滝があるため、舞い上がる水飛沫で周辺の土は少し湿っている。

「さて、次は…………ッ!?」

 不意に背後に殺伐とした空気が生まれ、キクチヨは慌てて振り返った。が、一瞬で
間合いを詰めた何かに足を掬われ、振り返り切る前に地面に倒れる。
 がしゃん、と派手な音がしたが滝の音にかき消され殆ど響かなかった。

「いっ…………ってぇ〜!! 何だぁ一体!?」

 激しく打ち付けた後頭部をさすりながら上体を起こすと、腰の上に赤と金色のモノが
しがみ付いているのが見える。

「キュウゾウ!? な、何やってんだオメェ!? ちょ、どけよ!」
「断る」
「はぁ!?」

 僅かにくぐもった声は、いつものキュウゾウと少し違う。一体どうしたのかと顔を覗き
込もうとするが、キュウゾウは一向に顔を上げる気配が無い。
 溜息を付き、両手で上半身を支えて空を仰ぐ。

「うおーいキュウタローさーん、俺様動けねぇでござるよー」
「動くな」
「って無茶苦茶だなオメェ! 珍しく真面目に仕事してたってのによぉ……」

 真っ白い雲を見上げてぼやくと、腰の上のキュウゾウがもぞもぞと動く。やがて丁度
いい場所を見付けたのか、キクチヨの膝の上に頭を乗せて大人しくなった。
 それは所謂、『膝枕』と呼ばれる形で。

「えっと…………………………………………何、これ」

 次々に巻き起こる理解しがたい現象の数々に、キクチヨの思考回路は鈍る一方だ。
しかし当のキュウゾウは平然と言い放つ。

「休めと言ったのはお主だ」
「そりゃ言ったけどよ……」

 そういう意味じゃねぇだろぉ?

 そんなキクチヨの呟きを無視して、キュウゾウは目を閉じる。
 キクチヨにはわからない。
 その瞳が己を向いていなければ落ち着かないのは、ただ一人。
 こんな風に、触れ合いたいと渇望する相手は、ただ一人。
 短い生の中で、そんな感情を覚える相手はキクチヨだけなのだと。
 それは悠久に、久遠の時が過ぎようとも変わる事などないのだと。

 きっと、キクチヨは知らないのだろう。





     終わり





キクチヨの方から寄って来てくれてちょっと嬉しかったのに、キクチヨが自分と絡まず
あっさり仕事しに行ったのがご不満だったご様子(笑)。
「七」で予定してたのに出来なかった『膝枕キュウキク』のリベンジでした。