<カンベエVer.>

 そこに立っていたのは、カンベエだった。

「カンベエ?」
「……走って行くのが見えたのでな」

 カンベエは静かに歩を進め、キクチヨの隣に並ぶ。

「今日の祭り……お主は楽しんだか?」
「お、おう」
「そうか」

 キクチヨはカンベエの横顔を見詰めるが、カンベエは真っ直ぐ前を向いてキクチヨを
見ようともしない。
 カンベエが何を話そうとしているのかわからず、キクチヨは少し居心地が悪い。

「キクチヨ」

 再び低い声で呼ばれる。

「何だ?」

 聞き返すと、漸く死人のような昏い目がこちらを向いた。

「故郷を……思い出していたのではないか?」
「ああ?」

 思わずその顔を凝視するが、カンベエは眉一つ動かさない。

「帰りたいと、思うか」
「…………」

 重ねて問われ、キクチヨはブシューッと蒸気を噴く。

 確かに、ハロウィンの計画をカンベエに持ち掛けたのは故郷を思い出したからだ。
 いや、正確には故郷にいた頃の自分を、である。
 子供達と遊ぶ内に色々話を聞かされ、そして今も昔も子供の辛さは変わらないのだ
と気付いた。そして、子供達と昔の自分を重ねたのだ。それは否定しない。
 だが、故郷に帰りたいかと言われれば……それは否である。
 あそこには何も無かった。
 食べ物も、平和な生活も、父も、母も。
 良い思い出など何も無い。
 ただ、必死の生があっただけだった。
 村八分にされていたあの場所に、今更戻りたいなどと。
 そうであるなら最初からサムライになろうなどとは思わない。
 自分の生きる道は、もうそれしかなかったのだ。

 キクチヨは目を閉じ、開いて、カンベエから視線を外した。

「馬鹿言ってんじゃねぇや。俺様はサムライでござる!」

 それを聞いて、カンベエは少し――笑んだようだった。

「そのようだな」



      終





























<ゴロベエVer.>

 そこに立っていたのは、ゴロベエ……かも知れないものだった。

「げっ……」
「あっらぁ、どうしたのぉこんな所で黄昏ちゃって?」

 キクチヨの声が引き攣るのも無理はない。
 ゴロベエ……であるかも知れないそれは、どこかで見覚えのある格好――数日前に
翼岩で見た妖しげな三人組の一人の――をしていたのだから。
 明るい時分ならともかく、こんな夜更けに出会いたくない。

 て言うかハッキリ言って怖い。
 物凄く怖い。色んな意味で。

 油切れのようにぎしっと固まったキクチヨに、ゴロベエ……だったかも知れない物が、
すいっと擦り寄って来る。

「ひっ」
「あらん、やだわぁキクちゃんたら。悲鳴なんか上げちゃってぇ」
「よ……寄るな触るなくっ付くなああああああああああああああああああああ!!!」



「いやあ、すまんすまん。余りにもお主が深刻な顔をしているから少しだけからかって
やろうと思ったのだ」

 化粧を落とし普段の格好に戻ったゴロベエが、かんらかんらと豪快に笑う。
 一方でかなり精神的ダメージを受けたキクチヨは地面にがっくりと崩れ落ちていた。

「ご冗談を、はこっちの台詞だぜ全くよぉ……」
「や、こいつは一本」

 ゴロベエは腰に手を当ててうん、と伸びをし、満ち始めている月を見上げた。

「ふむ、しかしこれは見事」
「まあなぁ」

 曖昧に相槌を打つキクチヨ。

「ハロウィンの次は満月の頃に月見と行きたい所だな」
「ああ、月見も悪くねぇな」
「そこで某の命賭けの芸を披露すれば場も盛り上がろうと言うもの」
「何で月見にンな物騒な見世物なんだよ! ってか月見に盛り上がりとかいらねぇ!」
「中々斬新だと思うのだがなぁ。もしくは女そ」
「二度とすんじゃねーぞ頼むから!!」

 息をつく間も無くツッコミ倒し、肩で息をするキクチヨを見てゴロベエは笑う。

「ふふ」
「……ゴロの字?」

 訝しげに顔を上げるキクチヨ。座り込んでいる為に殆ど真上を向く状態だ。
 するとやおらゴロベエが手を伸ばし、キクチヨの頭にその大きな掌を置いた。

「少しは気が晴れたようだな」
「え?」
「何を考えていたのかは知らんが……」

 ゴロベエは口の端を笑みの形に引き上げ、赤い鉄兜をそっと撫で始めた。
 キョトンした表情が忽ち困惑に変わるのが良くわかる。

「……っ」
「お主に暗い顔は似合わん」

 ゆっくりと、しかし力強く。

「笑っていろ、キクチヨ。お主の笑顔は――良いものだ」
「ゴロの字……」

 促すように見詰めてやれば、少しの間を置いて、笑う。

 ――この笑顔を守りたい。

 ゴロベエは片方の手に僅かに力を込めた。



      終





























<ヘイハチVer.>

 そこに立っていたのは、ヘイハチだった。

「おう、ヘイの字」
「どうしたんです、こんな所で」
「いや、ちょっとな……ん? 何だそれ」

 ヘイハチが片手に下げていた布包みを指差すと、にこりと笑って掲げて見せる。

「これですか? これは私から皆さんへの贈り物ですよ」
「贈り物?」

 ヘイハチは包みを地面に置いて広げる。中から出て来たのは、お化け提灯を象った
木の塊だった。

「へぇ、木彫りのお化け提灯か!」
「これはキクチヨ殿の分です」

 その内の一つを取り上げ、キクチヨの手に乗せる。掌にすっぽり収まる小さなお化け
提灯は、良く見るとキクチヨの面にある目と兜飾りと同じ形に穴が開けられていた。
 まるでキクチヨがお化け提灯になったようだ。

「おおっ、コイツ俺様にそっくりじゃねーか!」
「今日は本当に楽しかったですから。記念に、と思いまして」
「そうか……ありがとよ、ヘイの字!」

 にっと笑うキクチヨに、ヘイハチはいいえと笑みを深くする。

「もしかして、他の連中のもあるのか?」
「ええ、勿論。これは……あ、ゴロベエ殿ですね」
「おおっ、ゴロの字! こっちは……キュウタローじゃねえか!! ちっちゃくなっても
仏頂面してやがんなぁ」
「似てますか?」
「似てるなんてモンじゃねーや! オメェ本当にスゲェなぁ!!」
「いやいや、お粗末」

 一頻り楽しんだ後でキクチヨは先程のカツシロウのようにある事を思い出し、懐から
小さな白い包みを取り出した。

「礼ってわけじゃねぇが……これ、やる」
「おや、これは……」
「米で作った菓子だ! オメェ米好きだしよ、取っといたんだ」
「私の為に、ですか?」

 驚き包みを握り締めるヘイハチ。そんなヘイハチの様子には気付かず、キクチヨは
まあな、と返事をした。

「……ありがとうございます」
「いいって事よ。仲間だろ、俺たち」

 その素っ気無い答えが、ヘイハチの内側に何かを落とす。
 ヘイハチは楽しそうにお化け提灯を抓むキクチヨの手を取りたい衝動を何とか抑え、
口を開く。
 その手は決して柔らかくないのだろうが、きっと酷く暖かいのだろう。

「そう、ですね。私達は……仲間です」
「仲間でござる!」

 勢い良く蒸気を噴くキクチヨの笑顔を眩しそうに見遣って、菓子を口に放り込む。

「……うまい!」

 だろ、とキクチヨがまた笑った。



      終





























<シチロージVer.>

 そこに立っていたのは、シチロージだった。

「いないと思ったらこんな所で……」
「よう、モモタロー」
「あたしはシチロージだっ。いい加減に覚えてくれませんかねぇ」

 シチロージの竦めた肩を、キクチヨは笑いながらばんと叩く。

「いいじゃねぇか、細けぇ事はよ!」
「あたっ」

 思わず踏鞴を踏んで、シチロージはやれやれと息を吐いた。

「全くもう、折角取っときの菓子を持ってきてやったってのに……」
「取っときの菓子?」

 かしゃん、と小鳥のように小首を傾げるキクチヨ。その図体の割に可愛らしい仕草に
内心和みながら、シチロージはわざと意地悪そうにそっぽを向いた。

「おっと、キクチヨ殿には関係の無い話でげしたね」

 こんな態度を取られれば、大概の者は気になってしまう。ましてや殊更子供っぽい
キクチヨの事、あっさりと食い付いて来た。

「なあ、何だよその取っときの菓子って」
「さあ? 何の事でげすかねぇ」
「何だよ、意地悪すんなよモモタロー」
「あたしは知りませんねー」
「もーもーたーろーおー」
「聞ーこえーませーん」

 キクチヨが前に回り込み覗き込んで来る度にくるくると向きを変えて白を切ると、
益々ムキになって絡んで来る。
 その様子がおかしくてつい長丁場に及んでしまったシチロージだったが、いい加減
可哀想になって来たので許してやる事にした。

「やれやれ、仕方ないでげすねぇ」
「おっ」

 動きをぴたりと止め、懐から他の菓子よりも大きめの紙包みを取り出す。キクチヨは
興味津々で見詰めている。
 それを横目で眺めながらシチロージは袋を開けた。

「昔聞いた事のある菓子を作ってみたんですがね。作り方がうろ覚えな上時間も余り
無くて、これ一個しか出来なかったんでげすよ」

 でも味は保証しますよ、と袋から取り出したのは、こんがり狐色に焼き上がった長方
形の菓子。カボチャの餡子でも入っているのか、橙色の中身が上の網目から見える。

「ほお……見た事ねぇ形だな。何て言うんだ?」
「えーと、確かパイとか。カボチャのパイって所でしょうかね」
「へえぇ〜」

 シチロージの手の中のパイなる菓子を繁々と眺めていたキクチヨだったが、くい、と
顔を上げてシチロージに問うた。

「これ、俺が貰ってもいいのか?」
「ああ」

 元々、キクチヨにやる為に作ったようなものなのだ、これは。
 散々意地悪をした手前もう言い出せなかったが、シチロージは顔には出さず頷いて
見せた。
 キクチヨは嬉しそうにパイを受け取り、シチロージに笑いかける。

「ありがとな、シチロージ!」
「!」

 がつがつと食べ出しおお美味ェ、とか変わった味だ、とか言いながら喜ぶキクチヨの
顔を数秒ぽかんと見て、シチロージはあらら、と頭を掻いた。

 ちょっと反則のような気もするけれど。

「こりゃあ……あたしの負け、ですかな?」

 シチロージは苦笑して、高い天を仰いだ。



      終





























<キュウゾウVer.>

 そこに立っていたのは、キュウゾウだった。

「オメェ……キュウタロウじゃねぇか」
「…………」

 努めて明るく声をかけるが、キュウゾウは全くの無表情のままだ。おまけに無言。
 キクチヨはこの男が苦手だった。意思の疎通が図りにくいからだ。
 だが、嫌いではない。この男が本当は優しい人間だと知っている。
 それでも取っ付きにくいのは確かだったが。

「俺様に何か用でござるか?」
「…………」

 キュウゾウは黙って頷く。
 キクチヨも思わず釣られて頷いてしまう。

「で、何の用だ?」
「……それは」

 キュウゾウが指し示したのは、キクチヨが羽織る白い布。キクチヨの体に合わせた
仮装の衣装など無かった為、キララが使わなくなった敷布を繋ぎ合わせて作ってくれ
たのだ。頭からすっぽり被り、目蓋を開けて光らせれば幽霊に見えなくも無い。

「ああ、こいつはあれだ、仮装の……」

 そこまで言って、キクチヨはぽむ、と手を叩いた。

「……?」
「そうか、オメェもやってみたかったんだな? 仮装」
「いや……」
「遠慮すんなって」

 オメェにはちょっとデケェかもしんねぇが、とキュウゾウの言葉を無視し、布を外して
キュウゾウに被せる。やはり大き過ぎたようで、裾を引き摺っている。
 キュウゾウは暫し考え込んでいたようだったが、ふと顔を上げてキクチヨを見た。

「え?」

 ……心なしか、その口元が笑っているような。

「確か……『Trick or treat』……だったな」
「へっ?」

 どこか含んだ印象のある言葉に、キクチヨは思わず体を強張らせる。
 キュウゾウは相変わらず笑っているような、良くわからない顔だ。

 何だろう、何か……嫌な予感、が、する?

 不意にキュウゾウが間合いを詰めて来て、キクチヨは思わず一歩下がる。
 だがまるで逃がさぬと言わんばかりに腕を掴まれ、それ以上下がる事が出来ない。
布の下から見上げて来るキュウゾウの目は燃えるように赤く輝いていて、身が竦む。

「お、おい……?」

 キュウゾウの口が、綺麗な三日月型に歪んだ。

「菓子が無ければ……悪戯だ」
「っ!?」

 突然ばさ、と目の前が布で遮られる。キュウゾウの姿が布に隠れた、と思った瞬間。
 キクチヨは我が身に掛かる浮遊感に目を白黒させた。
 ふぁさ、と布が重力に従い流れ落ちると共に、目の前にキュウゾウの顔が現れる。
 物凄く、近い。

「な……」

 抱き上げられていると気付いたのは、肩に引っ掛かる布の重みを感じた時だった。

「なっななな……なん、てめ、な、にして」
「いや……悪戯ではない、な」

 上手く言葉が出ない。この眼前の顔をぶん殴ってやりたいのに、手が動かない。
 キュウゾウはつ、と何も無い宙に目をやり、また戻す。その赤い目はいつもの冷たい
色ではなく、まるで火のようだとキクチヨは思考の外で思った。

「菓子は、お前だ」
「――――ッ!?」

 耳の辺りに口付けられて、キクチヨはびくりと全身を震わせた。肩の白布がするりと
地面に滑り落ちる。
 生まれて初めて味わう奇妙な感覚に、キクチヨの思考回路は完全に停止していた。
 唇の感触と、それが触れ合う音が痺れのような振動を生み、体中の力を奪う。
 まるで神経回路が焼き切れてしまったかのようだ。
 へな、と自らの体に沈み込むキクチヨを見て、キュウゾウは満足げに微笑んだ。
 地に落ちた布を足で器用に広げ、そこにキクチヨの体を横たえる。

「なに、すんっ……」

 力の入らぬ体で尚も起き上がろうとするキクチヨの両肩を掴んで押し戻す。そのまま
鎧の上に跨ったキュウゾウは、熱を帯びた瞳でキクチヨを見下ろした。

「……お前が悪い」

 月を背に白を纏う姿は酷く眩しく、そして。

 それ以上に、あんな。

「あんな風に――笑うからだ」

 目映い笑顔を向けるからだ。



      終