星の鼓動
目の前をビームが掠め、クワトロはすぐさま百式を近くの隕石の影に隠した。それと
ほぼ同時に、何本ものビームが雨の様に降り注ぐ。後一歩遅れていたら危なかった。
安堵の溜息をつくのもそこそこに、バーニアを噴かせてその場を離れた。
すると今度は正面からビームの束が伸び、隕石を砕く。クワトロはその根元に向けて
ビームライフルを発射するが、小さな爆発がひとつ起きただけだった。
――全く、厄介な。
舌打ちをして小さな軌道が収束して行く先を見れば、どこか狐を思わせる面立ちの
白いMS――それにしてはやたらと曲線が目立つ――がこちらを睨んでいる。
アクシズのNT専用MS・キュベレイ。ジオンのNT専用MAエルメスを基に造られた、
ザビ家の亡霊だ。
「いつまでそうして逃げ回るつもりだ、シャア!!」
キュベレイのコックピットで、ハマーン・カーンが叫ぶ。かつて自分が後見人として、
指導した女だ。
「貴様こそ、何を遊んでいる? もうファンネルを5つも潰されているではないか!」
クワトロも負けじと叫び返す。ハマーンは嘲笑ったようだった。
「フン……たかが5つ、どうだと言うのだ。このキュベレイの力、知らぬ貴様でもあるま
い
!!」
言うが早いか、キュベレイの背部から大量のファンネルが一気に飛び出す。どうも
手持ちを全て出して来たらしい。
クワトロの背中に冷たいものが流れる。如何にクワトロと言えど、アレに一気に襲い
掛かられたら全て捌き切る自身は流石に無い。
思わず身構えたが、ファンネルが動き出す気配は無かった。
「……?」
「最後に、もう一度だけ言う。我々の……私の元へ戻る気は無いか、シャア」
クワトロは耳を疑った。そして苦笑とも嘲笑ともつかない笑いが零れる。
ああ、この女は矢張りダメだ。
そう思うと同時に、あのファンネルの大群にも勝てる気がしてくる。
それは、この宇宙で自分と同じ様に戦っている、彼のお陰かもしれなかった。
「くどいな、ハマーン。私の答えなど、聞かずともわかっているだろう? 貴様はニュー
タイプだからな」
揶揄を含ませてそう言うと、相手が息を呑むのがわかった。
――貴様など、ララァは愚かカミーユの足元にも及ぶまい――
「シャア……ッ貴様ァァッ!!!」
ハマーンの怒りに呼応する様に、夥しい数のファンネルが一斉に動き出す。
クワトロもMSを駆り、一気にキュベレイと距離を詰める。
モニターが互いの機体で埋まる程肉薄した瞬間、ビームサーベルが火花を散らして
交差する。
「……どうだ、これでは得意のファンネルも使えまい……!!」
百式の左手で、キュベレイの空いた手を抑え付ける。こうすればハンドランチャーの
ゼロ距離発射は避けられる。
だが、ハマーンはうろたえた様子も無く、轟然と言い放った。
「甘く見るなよ、シャア……私とて昔のままではない!!」
「何ッ!!?」
次の瞬間、数個のファンネルがキュベレイ諸共百式の腕を貫いていた。クワトロの
隙を見逃さず、ハマーンは距離を取ってビームの雨を降らせる。
クワトロは急いで捨てたビームライフルを拾い、応戦する。柄にも無く驚いていた。
何しろ、あのプライドの高いハマーンが己のMSを傷付けるような真似をするなど、
以前では考えられない事だったのだ。これまではMSに傷ひとつ付けずに帰還する事
こそ誇りとするのがハマーンだった。ノーマルスーツを着用しない事からも明らかだ。
(形振り構っていられぬ、と言う事か……)
どうやらハマーンは、例え刺し違えてでも自分を殺すつもりで居るらしかった。だが。
――クワトロ大尉!
「残念だがハマーン、私の命は貴様にはやれんな!!」
一つ一つ、確実にファンネルを破壊していく。
「では誰にくれてやるつもりだ! まさか、死んだ女にやる訳でもあるまい!!」
ララァ。かつて自分が愛した、ニュータイプの少女。彼女以上の力を持った人間は、
もう二度と現れまい。それでも。
「ララァは、私の命など欲しがらんよ。私が命を賭けるのは……」
――僕も、あなたを信じますから!!
「新しい時代を創る、若者達だ」
弾切れを起こしたビームライフルを、発射寸前のファンネルにぶつけて誘爆させる。
残った右腕でビームサーベルを抜き、息を整える。
深呼吸をすると、今は遠く離れたカミーユの息遣いが聞こえる様だ。まるで、初めて
出会ったあの日の様に。
敵味方入り乱れ、様々な意思が渦巻く宇宙の戦場で、彼の魂は一際大きく輝く。
「聞こえるか、ハマーン。この宇宙を走る、彼の言葉が」
あれだけあったファンネルも、既に残り僅かとなっていた。周囲を飛ぶファンネルを
バルカンで潰し、サーベルを振るう。
――命は力なんだ。この宇宙を支えているものなんだ。
「カミーユ・ビダン……!!」
キュベレイの放ったビームが百式の右足を撃ち抜く。バランスを崩すが持ち堪える。
大丈夫、まだ行ける。
――それをこうも失ってしまう事は、それは、酷い事なんだよ!!
きっと彼こそが、自分の待ち望んだ新人類の先駆け――真のニュータイプ足り得る
人間なのだ。
きっと彼こそが、迷い続けた自分を、宇宙を、導いてくれる者なのだ。
「何故だ、シャア! 何故、貴様は――……!!」
ファンネルの最後のひとつが、バックパックを削った。だが、百式は止まらない。
キュベレイを目指し、ただ駆ける。
「ニュータイプである事を拒否する貴様に、この宇宙を統べる資格は無い!!」
彼の差し伸べた手を振り払い、わかりあう事を拒絶したハマーンには。
――ここからいなくなれえッ!!!
「宇宙の塵となれ、ハマーン・カーン!!!」
「シャアァァァッ!!!」
突き出されたビームサーベルは互いにその切っ先を掠め、深々と突き刺さる。
キュベレイのものは百式の腰部へ、百式のものはキュベレイの胸部へと。
「やったか……!?」
「くっ……!!」
エンジン近くをやられた。そう長くは持つまい。
熱を帯び、火花を飛ばすコックピットの中で、ハマーンはその美貌を歪めた。
百式がビームサーベルから手を離し、緩やかに後ろへ流れて行くのが見える。
――何故、貴様は。
ハマーンは目の前の男に向けて、叫んだ。
いつも自分から離れて行こうとする男に、決して自分を必要としない男に、怒りと憎し
みと悲しみを込めて、叫んだ。
「おのれ、シャア!! 私は――――……!!!」
「……さらばだ、ハマーン」
ハマーンの最期の言葉を呑み込んで、キュベレイは爆発の中に散った。
クワトロは力を失い漂う最後のファンネルを握り潰すと、百式をグリプスへ向ける。
が、先程の戦闘でバーニアが故障してしまったらしく、出力が全く上がらない。
「ちぃっ……アーガマまで持つか……?」
両足とも無くなってしまった今、補助用のスラスターも使えない。せめて、カミーユの
所までは。
――カミーユ。
あれほどハッキリ聞こえていた彼の声が、ハマーンを倒したと同時に全く聞こえなく
なった。彼もシロッコを倒したのだろうか。そうであればいい。
「教えてくれ、ララァ……カミーユは無事なのか…………?」
こんな時、自分にララァやアムロほどの力があれば。半端な力しか持たない自分が
情けない。
こんな事なら、彼から離れるのではなかった。
「カミーユ…………」
きっと彼は無事だ。
己にそう言い聞かせて、クワトロは百式を可能な限り急がせた。
何とか辿り着いたグリプス宙域は、既に戦闘が終結しつつあった。
「あれは……アーガマ。無事のようだな」
白く大きな旗艦は、遠目にもしっかりと姿を認識できる。大分傷を負ってはいたが、
航行に支障は無さそうだ。
クワトロはアーガマの無事を確認すると、コロニーレーザーの発射口へと流れた。
レーダーセンサーをフル稼働させ、Zガンダムの機影を探す。
「どこだ、カミーユ…………」
戦闘直後の宙域は、破壊された戦艦やMSの残骸で溢れている。余計なものばかり
引っ掛かって、中々目標は発見できない。苛立ちを抑え、捜索を続ける。
「くそっ…………ん、あれか!?」
センサーに映った、周辺のデブリより一回り大きい反応。MSだ。メインカメラを操作
し、ズームをかける。モニターに映し出されたのは見慣れた、白い機体。
――Zガンダム。
「カミーユ……ッ!!」
思うように動かない百式がもどかしく、クワトロはハッチを開けて宇宙へ飛び出した。
ノーマルスーツ用のバーニアを噴かせ、宇宙を漂うZガンダムに近付く。
伸ばした手が、Zの装甲に触れた。コックピットに辿り着くや否や、乱暴にノックする。
本当はすぐに外からハッチを開きたい所だが、カミーユのノーマルスーツが傷付いて
でもいたら事だ。逸る気持ちを抑えて、カミーユに呼びかけた。
「カミーユ、カミーユ! 聞こえるか、カミーユ!?」
一見して、機体に目立った損傷は無い。にもかかわらずZは漂流していた。気絶して
いるのか、それとも――。
血の気が引いていく音が聞こえた。
君を守ると決めたのに。この命は、君の為に捨てると決めたのに。
ああ、これでは、無意味だ。
「カミーユ、返事をしてくれ……!!」
そうして、私の名前を呼んでくれ。
何も知らずに父の死を受け入れた男の名前ではなく。
復讐の為にたった一人の妹を置き去りにした男の名前ではなく。
つまらぬ嫉妬で愛した少女を死なせた男の名前でもなく。
全てを知っても君が呼び続けてくれた男の名前を、呼んでくれ。
「……カミーユ……」
項垂れて、Zのハッチに突っ伏したクワトロの背中を、優しく包む手があった。
――ほら、ね。言った通りでしょう?
――大袈裟なんですよ、あなたって人は。
続いて響く、二人の声。少し笑みを含んだ、やわらかな声。
「……ララァ? カミーユ?」
はっとして顔を上げると、Zガンダムの手がクワトロを守るように覆っていた。
――今、開けますから。
慌てて身を引くと、目の前で赤いハッチが開いていく。
身を乗り出し、コックピットの奥へ手を伸ばす。すると白い手が同じ様に伸びて来て、
いつかの様にしっかりとクワトロの手を掴んだ。思わず強く引っ張ると、白いノーマル
スーツがふわりと踊り出る。自分の胸に引き寄せると、少し震えている様だった。
「……カミーユ…………?」
「クワトロ大尉……痛いですよ」
そう言ってこちらを見上げたカミーユの顔は、暖かな微笑みに満ちていて。
クワトロは、カミーユの華奢な身体を思いっきり抱き締めていた。
「カミーユ!!!」
「わっ……大尉?」
「カミーユ、カミーユ……よく…………」
カミーユは初め面食らっていた様だったが、やがて小さく苦笑を洩らすとクワトロの
広い背中を抱き締め返した。
「もう……どうしたって言うんです。こんなに大きなくせして……」
子供みたいですよ、大尉。
そんな軽口すらも、今のクワトロにはただいとおしかった。
大切なものを二度も失わずに居られた幸運に、感謝する。
「君が無事で居てくれた事が、嬉しくて堪らないのだよ……カミーユ」
「大尉…………僕、夢を、見ていたんです」
「夢?」
ほんの少し身体を離して、カミーユの顔を覗き込む。バイザー越しに見るカミーユの
大きな瞳は、宇宙の星を映して輝いていた。
「はい。シロッコを倒した後……気が付いたら、どこかの草原に立っていました。全然
知らない場所なのに、どうしてか懐かしくて……。道がわからなくて困っていた僕を、
不思議なひとが助けてくれたんです」
――道に迷ってしまったのね。こっちへいらっしゃい。
そのひとはそう言ってカミーユの手を取り、踊るような足取りで導いてくれた。
そのひとが動く度、山吹色の裾が羽根のように翻る。
「どうしてだろう……僕、あなたを知っている気がする」
「ふふふ……私もあなたを知っているわ」
銀の鈴を転がすように、そのひとは笑う。エメラルドのような瞳が印象的だった。
導かれる先に誰かが立っているのがわかる。その人に見覚えがあって、カミーユは
酷く驚いた。
「カミーユ!」
「――フォウ!? フォウなのか!?」
「カミーユ、会いたかった!」
ショートヘアを揺らして、彼女が飛び付く。カミーユもフォウをしっかりと抱き止めた。
懐かしい、フォウの匂い。
「信じられないよ、フォウ……また君に会えるなんて……」
「カミーユが宇宙に来てくれたから、あたしもカミーユに会う事が出来たんだよ」
「そうだったのか……」
フォウはカミーユにキスをして優しく微笑むと、そっと身体を離した。
「これからはいつだって一緒よ、カミーユ。あたしはずっとあなたの傍に居る」
「……フォウ?」
「――あなたは、まだここに来るべき人ではないのよ。そして、あの人も」
振り返ると、カミーユを導いてくれたひとが少し寂しそうに微笑んでいた。
それを見て、何故だかカミーユはわかってしまった。
彼女も、ここで待っているのだ。あの人を見守りながら、待っているのだ。
「あの人には、あなたが必要なの。放っておくと、すぐ落ち込んでしまう人だから……
だからお願い。あなたはあの人の傍で、あの人を支えてあげて」
「――わかりました。あなたの分も、僕が」
ゆっくりと頷くと、彼女は花が綻ぶような笑顔を見せた。
「ありがとう……優しいのね」
「そんなんじゃないんです。確かにあの人……ほっとけない、って思いますから」
「ふふふ……さあ、そろそろお戻りなさい。あの人が呼んでいるわ」
彼女の褐色の指がカミーユの額に触れた刹那、カミーユの意識はすとんと落ちた。
「……二人揃って随分な言い草だな……私を何だと思っているんだ」
「事実なんですから仕方ないでしょう?」
憮然としたクワトロの顔がおかしくて、カミーユは吹き出しそうなのを必死で堪える。
「カミーユ…………」
「じゃ、そろそろアーガマに戻りましょうか」
するりと腕から抜け出し、Zのコックピットへ戻るカミーユの背中に思わずぼやく。
「……全く、君は変わらないな……」
その事に心底ほっとしているのもまた事実ではあるが。
「クワトロ大尉! 何してるんですか、そのままでアーガマまで戻るつもりですか?」
コックピットから顔だけ出して、カミーユが呼ぶ。
「あ、ああ、今行く。百式も近くにあるからついでに拾って行ってくれるか」
「了解!」
クワトロがリニアシートの後ろに下りるのを待って、カミーユはハッチを閉めた。と、
同時にコックピット内が与圧されて行くのがわかる。エアーのレッドランプがグリーンに
変わるのを見届けて、カミーユはヘルメットを脱いだ。
「ふう……っ」
汗で張り付いた髪を軽く振り払う。ふと視線を感じて肩越しに背後を見遣ると、同じ
様にヘルメットを外したクワトロの端正な顔が目前に迫っていた。
触れるだけの、口付け。
「…………カミーユ」
「……何です?」
唇を離し頬を撫でるクワトロを見詰めながら、カミーユは次の言葉を待った。
目の前の男は、今まで見せた事の無いようなやわらかな笑みを浮かべている。
「私の名を…………呼んでくれるか」
何を言うのかと思えば。
カミーユは思わず吹き出してしまう。
「幾つも名前を持ってる人が言うんですか、それを」
そう言うと途端に困ったような顔をするものだから、カミーユは赤いノーマルスーツを
ふわりと抱き締めた。そうして耳元で囁いてやる。
「冗談ですよ。他がどうでも僕にとってあなたは……クワトロ大尉ですから」
いつだって、どんな時だって、呼んであげますよ。
笑みを含んだ言葉は、甘く優しく耳朶を打つ。
「………………ありがとう、カミーユ……」
抱き締めてくれる腕が温もりをくれる。
視界に映る宇宙は星を宿して輝く。その宇宙と同じ瞳を持つ少年の、全ての生命に
向ける想いを独占している気がして。
愛しく小さな背に腕を回し、クワトロは目を閉じた。
END