<微睡の契約>

 巨大な扉をどんどんと。

「久蔵ぉー! きゅーぞ――!! ……野郎、まぁた式仕舞ったまま寝てやがんな?」

 この屋敷の主人はそれはそれは素晴らしい力を持った陰陽師なのだが、如何せん
人嫌いなのだ。高貴なお方に呼び付けられて出向くのは大嫌いだし、かと言ってこの
屋敷に人が訪ねてくるのも同じぐらい大嫌いだ。要するに、他人と会話するのが嫌い
なのだろう。
 菊千代に言わせれば、ただの物凄い面倒臭がりなだけなのだが。
 それが証拠に、屋敷の掃除や炊事洗濯、果ては着替えまで全てを式神にやらせて
自分は呑気に寝ているだけなのだ。怠惰極まりない。
 その式神は屋敷の雑事――つまり来客の対応もこなしているわけだが、それだって
術者である久蔵が式神を動かしていなければ意味が無い。おまけに盗賊避けの為に
屋敷全体に結界が張ってあり、無理矢理押し入るなど不可能である。
 とは言え、菊千代は特別に久蔵に訪問を許された客であるから、そんな結界は障害
にもならないのだが。事実、来る時は名乗りなぞ要らぬ、勝手に入れと言われた。
 しかし菊千代は、下賎な出身ながらも随身である。いずれは侍になろうとしているの
だから、そこの辺りはちゃんとしておきたかった。
 故にこうして戸を叩いているわけだが、待てど暮らせど誰も出て来る気配が無い。
 最近、こんな日が多い。
 菊千代がこの屋敷に来るようになってから、久蔵は式神をあまり使っていないのだ
そうだ。伝聞系なのは、実際に式神たちから聞いたからだ。そう、式神たちには一人
一人個性があり、菊千代は彼らと他愛の無いお喋りをするのが好きだった。どちらか
と言えば久蔵より式神たちに会う方が訪問の楽しみだと言っても過言は無い。
 久蔵とて、今更式神に頼らず自分で家事など出来よう筈も無いのだが。
 それなのに、である。

「わっけわかんねぇー……」

 深く溜息を付いて菊千代は懐から飾り紐を取り出し、また溜息を付いた。陽の光を
僅かに反射し、輝く金色の糸。久蔵の髪で作られたそれは、この屋敷の通行許可証
である。これを持っている限り、屋敷の結界は菊千代には作用しない。
 菊千代は再び溜息を付いてから、飾り紐を懐に戻し扉を押し開けた。



 どすどすと近付いて来る不機嫌そうな足音に、久蔵は布団の中でほくそ笑んだ。

「久蔵! テメェいつまで寝てんだコラァ!!」

 すぱーん、と障子が開け放たれ光量が強くなる。太陽を背負った随身を眩しそうに
見上げて、久蔵はもぞもぞと布団の奥に潜る。

「あっ待てこの野郎、起きろってんだよ!」

 菊千代が布団を引っぺがそうと手を伸ばした隙を突いて、さっと手首を掴んで引き
摺り込む。大きな体はあっさりと倒れ込んで来た。

「うお!?」
「……隙だらけだな」

 いつの間にやら久蔵に組み敷かれる格好になっている事に気が付いて、菊千代は
真っ赤になって抵抗する。しかし久蔵のどこにそんな力があるのか、押さえ付けられ
た両腕はびくともしなかった。

「それで護衛が務まるのか?」
「ふ、不意打ちは卑怯だろうがっ」
「貴族の襲撃など普通は不意打ちだろう」
「うぐっ……」

 っつーか男に乗って何が楽しいんだテメェ、と言う悪態は無視して、菊千代の着物を
脱がせ始める。途端にうぎゃあとか妙な悲鳴を上げるが更に無視。すぐに目的の物を
発見して久蔵はその形の良い眉を顰めた。

「……久蔵?」
「また、か」

 顕になった菊千代の胸に、薄っすらと残された赤い線――今回は剣筋のようだ。
 呆れたような疲れたような溜息を付いて、久蔵はそっとその傷に指を這わせる。
 菊千代は、いつもそうだ。
 襲われた貴族を、毎度毎度身を呈して庇う。無頼者に襲われる以上、その貴族にも
何らかの責はあると言うのに。奴らとて何もただ貴族だから、と言う理由で無差別に
襲うわけではない。それでもこの随身は、馬鹿正直に笑って言うのだ。

「俺は、侍になるんだ」

 だから、こんな傷くらい。
 記憶と寸分違わぬ台詞を吐いて、目の前の男は笑う。

 ――人の気も知らないで。

 以前に一度、菊千代が屋敷に全く顔を見せなくなった事がある。最初の内は仕事が
忙しいからとか疲れているとか、そんな理由だと思っていた。しかしあまりに時が経ち
過ぎ、とうとう我慢ならなくなった久蔵は式神を飛ばして――菊千代が任務で重傷を
負い生死の境を彷徨っていると知ったのだった。あの時は流石に肝が冷えた。

「……死んでしまっては、意味が無いだろう」
「俺は死なねぇよ」
「わからない」
「死なねぇって」

 あくまで死なないと言い張る男の胸の傷に、久蔵は静かに口付けを落とす。

「もし、お前が死んだら――」
「だから死なねぇって」
「お前の魂を捕らえて、俺の式にしてやる」
「うげ」

 こりゃいよいよもって死ねなくなったな――と心底嫌そうな顔。だが、久蔵は笑む。

「黄泉平坂を叩き壊し、千引の岩で扉を塞いで」

 柔らかな、穏やかな顔で。

「永遠に俺のものだ――」

 オメェ、ひょっとして眠いのか。と菊千代が訊ねて来る。
 そうかも知れない。と久蔵は微笑った。

「だから――傍にいてくれ」


 この、まどろみの間ぐらいは。



       終



お侍で陰陽師パロ。楽しかった……!(笑)
雑記絵妄想の時はキクたんロボだったけど、書いてたら擬人化しちゃった。
他のお侍はどうしようかなぁ、やっぱり他の陰陽師とかの方がいいかな。