20××年、北極圏に程近いアラスカ沖合い上空。
 恐ろしいほど晴れた空を、三機のF−15戦闘機が駆けて行く。野鳥の群れのように
三角の陣形を取った内、中心のイーグルを操縦する小隊長が無線を取った。

「こちらサムライ1。こちらサムライ1。現在位置は170の75、後240秒で目標地点に
到達する。オーバー」

 ややあって、ノイズ混じりの声が届く。

「了解。気を付けて行けよ、サムライボーイズ」
「ラジャー!」

 ヘッドフォンから聞こえる上官のからかうような声に、小隊長は見えもしないのに軽く
敬礼をした。彼がこの小隊隊長になってからずっとこのコールサインを使っているが、
いつまでたっても上官はふざけるのをやめはしない。だが、彼はこのコールサインが
気に入っていた。彼がアラスカの第11航空軍エルメンドルフ空軍基地に配属されて
からと言うもの、ただでさえ少ない娯楽は更に減った。何せアラスカだ。内地のような
街が周辺にあるわけが無い。そんな中で彼ら軍人の楽しみと言えば、仲間とトランプ
ゲームに体力訓練を兼ねたバスケットボール。それから映画好きの仲間が私物として
持ち込んだ、それほど多くもない映画のDVDだ。そいつはどうやら日本に憧れていて、
時代劇モノなんかを結構沢山集めていた。暇潰しには丁度いいと一緒に眺めていた
彼だったが、いつの間にやらその面白さに嵌っていて。いつか休暇が取れたら日本に
行って見たいと思うようにすらなっていた。聞く所によると、日本のテーマパークには
サムライの格好をしてエド時代の街を歩ける場所があるらしい。是非行ってみたい。
 そんな「日本旅行計画」を立てている彼を、上官はよく酒の席でからかってくれた。

「お前みたいなのがサムライなんて、似合わないに決まってる。学芸会じゃないんだ」

 それでもめげずに言い募っていると、最後には「じゃあお前の隊のコールサインは
サムライで決定だ」と言われ現在に至る。

「隊長、見えました! 右前方、距離約5万フィート!!」

 陣形の右側を飛行する部下から無線が入る。うっかり考え事に耽ってしまったようだ。
彼が言われた方向に視線を投げると、確かに海の上、黒い何かがポツリと見えた。

「よし、高度を下げつつ近付くぞ。付いて来い!」
「ラジャー!!」

 こんな海上に彼らイーグル部隊が駆り出されたのにはワケがある。つい数時間前、
基地のレーダー上に謎の反応が現れたのだ。他国の飛行機や船ではない。出現が
突然過ぎる。レーダーに映る事無く急に姿を現すなど、現在の科学力では不可能だ。
レーダーに映らないようにするにはジャミングを掛ける必要があるが、そんな形跡は
無かったと言う。他国のスパイの可能性が考えられたが、その反応は出現場所から
殆ど動いていない。そこで無人偵察機RQ−1、通称プレデターが飛ばされた。しかし、
プレデターは反応の正体を確かめる事無く大破したのだ。故障ではない。プレデター
は人工衛星を通して基地からの操作が可能であり、つまり操作信号が送られて来る
限りプレデターは飛行不能になっても機体を保っていると言う事だ。その信号が急に
途切れ、尚且つ通信映像も消えた。その上レーダーからも消えてしまっては、これは
破壊されたと見る他無いだろう。撃墜されたのだ。
 そう、この先にいる「何か」は、彼らの母国アメリカに攻撃を仕掛けたのだ。
 彼はそれを思い出し、操縦桿を握る手に力を込めた。

「一体どんな奴か……ツラを拝んでやるぜ!」



 アメリカ空軍第11航空軍エルメンドルフ空軍基地司令部は今や騒然となっていた。
ほんの一時間前に出撃したイーグル部隊と全く連絡が取れなくなってしまったのだ。
レーダーの上ではまだ隊長機であるサムライ1が飛び回っている。しかしその動きは
不規則で、攻撃を受けているように見える。他の二機はプレデターのようにレーダーから
忽然と消えた。パイロットが生きているのか死んでいるのかもわからない。

「サムライ1、サムライ1! 聞こえるかサムライ1!!」

 通信士が引っ切り無しに呼び掛けているが返事は無い。電波障害が起こっている
わけでも無さそうなのに、一切の無線が通じないのだ。これでは退却命令を出しても
意味が無い。サムライ1は逃げる事も出来ないのか。

「サムライ1、もういい!! 後退しろ!」
『…………るっ、……が…………イ1……部………令部、応答せよ!』
「ああ、聞こえるぞサムライ1!! 司令、無線が通じました!!」

 酷いノイズ混じりの音声に、それでも司令部のあちこちから歓声が上がる。

「よくやった、サムライ1! 聞こえているな? その空域から離脱しろ!!」
『……っくしょう、奴ら、何なんだ一体!! 二人をやられた、畜生!!』
「落ち着け、作戦は中止だ、すぐに離脱を……」
『こちらサムライ1、聞こえるか!? ……くそっ、やっぱりダメか!』
「サムライ1、どうした? こちらの声が聞こえないのか!?」

 司令が通信士の背後に駆け寄る。

「サムライ1! どう言う事だ、無線は通じているのだろう!!」
「わかりません。あちらには聞こえていないとしか……」
「何だこれは……一体何が起こっている!?」

 司令部が不測の事態に戸惑っている内にも、スピーカーからはノイズだらけの声が
響いて来る。最早司令部の人間全員が手を止めてレーダースクリーンを見上げた。

『ダメか!? くそ、何なんだこいつらの装甲は!! ふざけるな!!』
「サムライ1……何と戦っているんだ?」

 こちらの声は一切が通じず、ただただ混乱するパイロットの声が響く司令部。助けて
やる事も声を掛けてやる事も出来ず、彼の恐怖が広がって行くのを感じるだけ。

『う、あ……何だ、アレは!? あんなものが存在するのか、存在していいのか!!』

 この状況は何だ。これは何の冗談だ。

『こんなもの、誰も知らない――…………!!!』

 一際大きなノイズが断続的に響き、ブツンと途切れた。イーグルの反応も消える。

「……サムライ1、撃墜……」

 その言葉を最後に、司令部に沈黙が降りる。司令は血が出そうなほど堅く拳を握り、
傍らの通信士に呼び掛けた。

「緊急回線を開け。……大統領にご報告せねば」
「は……イエッサー!」
Nobody knows this(誰もこれを知らない)――か」

 司令は深く息を吐き、黒い受話器を耳に当てる。

「緊急事態です。過去被弾率ゼロの我が国のイーグル部隊が……撃墜されました」

 レーダー上の赤いUnknown(正体不明機)は、少しだけアメリカに近付いて来ているようだった。





 一年後、北海道。
 空港のエントランスから、一人の少年が飛び出した。

「うおー、ここが北海道か! 空が高ぇ〜ッ!!」

 190の大台に乗る長身ながら無邪気にはしゃぐ様はまるで小学生のようで、周囲の
微笑ましい笑いを買った。深呼吸して、少年は冷たい空気に身震いする。もう春とは
言え、北海道はまだ寒い。

「そんな薄着で外に出るな、菊千代。風邪引くぞ」
「ゴロの字」

 咎めるような、しかしとても優しい低い声に菊千代は振り返る。そこにいたのは、菊
千代にも劣らない程の長身の男性だった。彼は体付きもがっしりしていて、二人並ぶ
と壁のようにさえ見える。ゴロの字と呼ばれた男性はだってよう、等と言い訳を始める
菊千代の頭に、手に持っていた上着を被せた。

「うわっ」
「全く……ホラこれを着ろ」
「……ん、ありがとな五郎兵衛」

 もぞもぞと上着を着込み、菊千代はにこっ、と五郎兵衛に笑い掛けた。五郎兵衛は
まるで眩しいものを見るかのように目を細め、大きな手で菊千代の頭を優しく撫でた。
橙色の髪の毛はぼさぼさして一見硬そうだが、量が多いだけで実はとても柔らかい。
菊千代は少し恥ずかしそうだが、でも嬉しそうだ。

「さあ行くぞ。学校に挨拶に行かなくては」
「別にゴロの字は付いて来なくていいんだぜ?」
「馬鹿を言え。お前を一人で行かせて迷子にでもなられちゃ堪らんからな」
「まっ……お、俺はもう高2だぞ!!」
「はいはい、では出発進行ー」
「っだぁあっ、引っ張んな!」

 五郎兵衛に腕を掴まれて引き摺られながら、菊千代はふと空を仰ぎ見た。


 ――誰かに、呼ばれた気がした。


 外の水場で顔を洗っていた少年が、ふと顔を上げた。

「…………?」

 辺りを見回してみても、誰もいない。気のせいだったかと思い直し、蛇口を閉める。
タオルで水を拭っていると、道場の入り口から一年が走り出て来た。

「久蔵先輩、先生が呼んでますー!」
「……わかった」

 立て掛けてあった竹刀を持って歩き出す。その久蔵の背後で、遅咲きの桜が一枚
舞った。



       続く