第四話 ヒトならざるものたちの襲撃



「『最終兵器』はどうした!! 何故前線で待機していない!!!」

 電話口の向こうから聞こえる怒声に、男性は色素の薄い柳眉を顰めた。
 さっきから数分置きに同じ事を何度も何度も。現場の事情をわかっているのか。
 相手に聞こえないように顔を背けて溜息を付き、男性は声だけは至極真面目そうに
装って返答する。

「ですからご心配無く。先程も申し上げました通り、昨夜の戦闘で第一種戦闘配備は
解除されております。既にNobodyは一時撤退しており、現在は第二種警戒態勢に
移行。連絡を密にし、電索も決して怠っておりませんので――」
「しかし、何かあってからでは遅いのだぞ!! 不測の事態に対応する為にも、常に
出撃出来るようにしておくのが君たちの役目だろう! 何の為に高い金を出している
と思っている!! 何の為の兵器だ!!!」
「――お言葉ですが長官殿」

 不意に温度を下げた男性の声に遮られ、電話の相手は僅かに声を引き攣らせた。

「な、何だね」
「如何に最終兵器と申しましても、彼の体は生身の人間のままです。休息を取らねば
いざと言う時、とても戦えませんよ」
「だ……だが」
「彼にはGPS式携帯電話を持たせてありますので居場所は常にこちらで確認出来て
おります。信用の置ける人物に監視も任せておりますし――何より、彼の『翼』はこの
地上で最高の速度を誇る。例え地球の裏側にいようと、数秒で駆け付けますよ」
「…………む、う」
「納得して頂けましたか。では、あたしも仕事がありますのでこれで」
「ま、待ちたまえ! まだ――」

 ガチャン、と叩き付けるように受話器を置いて、電話線ごと引っこ抜いてやろうかと
言う思いが一瞬頭をよぎる。
 が、すぐに無理な計画だと思い直す。この研究所に一体幾つ電話があるか。
 もう一度重苦しい息を吐いて、男性は背後の気配に振り返った。

「七郎次」
「勘兵衛様」

 部屋の入り口に立っている勘兵衛の姿に、七郎次は寄せていた眉根を緩め疲れた
笑みを見せた。
 静かに歩み寄る勘兵衛の白衣は、近くで見ると皺や汚れが一層目立つ。自分もそう
だが、この上司はもう何ヶ月家に帰っていないのだろう。まあ、妻子は東京に置いて
来ているのだから余り帰る意味も無い。無駄な時間を使うくらいなら仕事をする男だ。

「全く、嫌になっちまいますよ。世間様じゃ晴れの日曜だってのにお偉方の電話責め
……どうせなら女性の麗しい声でも聞きたい所ですが」
「すまんな、外の応対をお主に任せっ切りで」
「構いません。勘兵衛様の仕事は、今この国に最も必要な事ですから」

 必要、の言葉に勘兵衛が僅かにその表情を曇らせる。
 やはりこの男の心はまだ晴れていないのだと知り、七郎次は話題を変えた。

「そう言えば、昨日手紙が届いてましたね」
「うむ……筆不精にも程があると叱られてしまった」
「はは、勝四郎君らしい」

 数回会った事がある程度だが、目の前の男には欠片も似ていない息子の顔を思い
出す。大きな目を輝かせて、自分たちの仕事の話を理解しようと必死だった。
 将来なりたいものは父のような科学者だと、口癖のように言っている。

「夏休みに入ったらこちらに遊びに来ると言って来た」
「ああ、もうそんな時期なんですね」

 随分と懐かしい響きの単語に、漸く今が夏であることを思い出した。諸々の事情の
為空調をしっかり効かせている研究所では、長袖の白衣も難なく着られる為季節感に
非常に乏しいのだ。
 そこでふとその単語に近しい、現在最も身近な少年の顔が頭に浮かんだ。
 あの子供も、夏休みを楽しみにしているのだろうか。
 そんな事を考えていると、まるでこちらの心を読んだかのように勘兵衛が口を開く。

「それで……あれは今どこに?」
「学校ですよ。何でも友達と約束があるとか」
「…………そうか」

 護衛の報告を聞く限り、彼は年頃の少年らしく日々を過ごしているようだった。

「夏休み、か」
「それまでに……北海道が無事ならいいんですがねぇ……」





「…………」

 日曜の正午前。
 久蔵は一人、高校裏の公園に来ていた。
 この公園は学校の裏山を大胆に削って造られていて、かなりの広さがある。中でも
頂上に位置する展望台は眺めが良く、天気のいい日には北の海も見えると評判だ。
 展望台のある高台へ続く階段を上りながら、久蔵は平八の言葉を思い出していた。

『いいですか? 告白って言うのはムードが肝心なんです』
『…………』
『いきなり「好きだー」って言ったって、突然過ぎて向こうが呆気に取られちゃいます。
鈍い菊千代相手ではそれはいけません。ですから、空気を作るんですよ』
『空気……』
『ええ。こう……相手の事をつい意識してしまうような、気にせずにはいられない……
そういう雰囲気です』
『……よくわからん』
『うーん、では……そうですね、取り敢えず目を見て下さい』
『目を?』
『相手の目をじっと見詰めて、逸らさない事。好きだって気持ちを込めて見詰めれば、
菊千代だっていつもと違うって気付くでしょう。あ、でも獲物を狙うような目付きはダメ
ですよ? 優しく、穏やかに。優しげに見られて気を悪くする人はいませんからね』
『…………そう言うものか』
『そう言うものです。で、話題は久蔵君に任せますけど――少し話をして、落ち着いた
所を見計らって――それ、渡して下さい。受け取ってくれたら、そこがチャンスですよ』


「…………」

 果たして、そう上手く行くだろうか。
 口下手な自分の事は自分が一番良く知っている。
 ……何だか不安になって来た。
 出来る事なら逃げ出したい。
 胸の辺りがざわざわする。
 掌に汗が滲む。
 階段を踏み締める足が重い。
 もしかして、これが緊張すると言う事なのか。
 剣道をやっていても、一度も味わった事の無い感覚。
 菊千代に会う前からこれでは、彼を前にした時何も話せる自信が無い。

「…………」

 でも。
 告白すれば。
 自分の思いを伝えれば、もうあんな思いはしなくていいのだ。
 彼を見失った時の、心臓が止まりそうな焦燥と。
 彼との境を知った時の、身を切るような絶望を。
 もう、感じなくてすむ。

「俺が、欲しいのは……――」

 あいつの。

「…………久蔵」

 菊千代の。

「――――――菊千代」

 笑顔、だけだ。





「所長! 副所長も」
「ご苦労。その後動きは無いか?」
「はい、沖を巡航している駆逐艦、護衛艦共に依然変化なしとの事です」
「そうか……」
「奴さんも昨日の戦闘で相当ダメージを負ったって事でしょうか?」
「……うむ」

 勘兵衛は顎鬚を撫でて、北海道沿岸周辺の地図を食い入るように見詰めた。

「勘兵衛様?」
「……わしの思い過ごしであれば良いのだがな……」





 階段を上り切った先にあったのは、見慣れた後姿。
 手摺りに寄り掛かっていた背中が久蔵の気配に振り返る。
 海の向こうから吹く風が、橙色の髪を舞い上げた。

「……久蔵」
「――――菊千代……」

 昨日の昼に別れたばかりなのに、まるで何年も会っていないかのように感じる。
 顔を見ただけで、平八の教えも五郎兵衛に対する嫉妬も、全て吹き飛んでしまう。
 ただ、風に揺れる柔らかな髪に触れたい、と久蔵は思った。

「…………」
「…………」

 数秒の沈黙の後、口火を切ったのは菊千代だった。

「……へへ、ちょっと……早く来過ぎちまってよ」

 そう言えば、ここに来い、とは言ったが時間の指定まではしていなかった。
 いつも三人で集まる時は昼前に、と決めていたから深く考えもしないで。
 嫉妬に駆られて押し付けるように言い捨てて、背を向けて。
 そんな曖昧で一方的な約束を律儀に守って、一体いつから待っていたのだろう。
 はにかんで頭をかく仕種が、どうしようもなく心を掻き乱す。

「菊千代」

 名前を呼んで一歩近付くと、手を下ろし俯いてしまう。

「久蔵……俺、オメェに謝らなきゃならねぇ……」
「…………」

 何を言う。

「俺……オメェらに、嘘」
「……やめろ」
「え?」

 そんな顔をさせたいわけじゃない。
 固く握り締めていた拳に手を伸ばすと、弾かれたように顔を上げた。指を開かせて
そっと包み込む。暖かい、大きな手だ。
 菊千代が戸惑ったように久蔵の名を呼ぶ。

「久蔵……?」
「話したくない事なら、無理に話すな」
「でも」
「誰にでも、秘密はある」

 柘榴と琥珀の双眸が互いを映す。
 やはり、と思う。
 菊千代の瞳は、綺麗だ。

「――――昨日は、すまなかった」
「っ、何でオメェが謝るんだよ……」

 醜い嫉妬を抑え切れず、苛立ちを菊千代にぶつけて。
 何かを抱えて苦しんでいる菊千代に、それはしてはならない事だったのに。
 自責の念に駆られ、久蔵は目を伏せる。

「本当に……すまない……」

 菊千代が好きだと。
 笑顔が見たいだけだと言いながら。
 他の誰よりも、その笑顔を奪っているのは自分ではないのか。
 何と言う矛盾。
 何と愚かな。

「――やめろよ」

 菊千代の拳を包む久蔵の両手に、もう片方の掌が重なる。
 反射的に面を上げると、怒ったような困ったような、何とも言えない顔がある。

「菊――……」
「ずりぃぞ、久蔵。俺には謝らせねぇ癖に、自分だけ謝りやがって」
「…………」
「俺は、オメェに」

 重ねていた手で久蔵の胸をとん、と突く。

「謝られるような覚えはねぇよ。だから……」

 もう、仕舞いだ。だろ?
 そう言って笑う菊千代に、己の頬が緩むのを久蔵は感じていた。

「……そう…………だな」





「――――!!」
「勘兵衛様?」
「しまった……そう言う事か!」

 突然声を上げた勘兵衛に、部屋中の人間の視線が集まる。

「至急、五郎兵衛に連絡を!!」
「は、はいっ」

 七郎次が作戦地図を睨み付ける勘兵衛に小さく訊ねる。

「勘兵衛様、一体」
「迂闊であった……奴らは常に夜にしか現れなんだが」
「では、まさか」
「そのまさかだ」

 勘兵衛は地図の上――海上の一点を、忌々しげに握り潰した。

「このNobodyは…………囮だ」





「菊千代」
「ん?」

 握り締めていたままの菊千代の掌に、そっとペンダントを乗せる。
 ずっと、渡しそびれていた贈り物。

「これは……?」
「……お前に、似合うかと……思って」

 店でこれを見た時、直感的に思ったのだ。
 これは菊千代のものだ、と。
 菊千代を表すようなこれは、菊千代以外の者に持つ資格などありはしない。
 そう、確信した。

「……くれんの? 俺に?」
「ああ」
「へへ……サンキュ。大事にするなっ」

 小さく頷けば、手の中の銀細工をまじまじと見詰めた後――照れ臭そうに、微笑む。
それだけで、渡して良かったと思えた。
 喜んでくれた。笑ってくれた。
 ほっと安堵の溜息を付いて、そこで突然久蔵の脳裏に平八の言葉が蘇った。

『受け取ってくれたら、そこがチャンスですよ』

 チャンス。
 よくわからない。
 本当に、この想いを告げてもいいのだろうか。
 受け入れてくれるのだろうか。
 平八の言うような、空気を作れたかどうかも判断が付かない。
 でも。
 この機を逃したら、もう二度と伝えられないような気もする。
 伝えなければ……菊千代は。

「…………久蔵?」

 黙りこくってしまった久蔵を訝しんで、菊千代が顔を覗き込んで来た。
 突然近くなった顔に、思わず心臓が跳ねる。

「き、菊千代」
「何だ?」

 菊千代の目が、自分を真っ直ぐに見詰めている。
 心拍数が上がったまま治まらない。
 まるで、声帯が麻痺してしまったかのようだ。
 上手く言葉にならない。
 けれど、伝えなければ。

「菊千代。俺は……お前が」

 その時。

 ――――――ドォンッ…………!!!

「「!!?」」

 激しい轟音と地鳴りが下方から響く。

「な……んだ!?」
「まさか…………!!」

 手摺りから身を乗り出し下を見下ろすと、校庭の真ん中に大量の砂塵が立ち上って
いた。もうもうと舞い上がる砂煙の奥に、黒い影が蠢いている。人のようだが、まるで
おかしなシルエットのものもある。
 正体を見極めようと目を凝らした視界に、何かが煙から飛び出たように映った。
 何だ。
 そう思った時には、それはもう久蔵の目の前に飛び上がっていた。
 人間のような、しかしどこか歪な黒い形。
 手に持っているのは、銀色の――――刀?

「久蔵ッ!!」

 どん、と突き飛ばされ、咄嗟に受身を取る。
 一体何を、と顔を上げた瞬間目に入ったのは、久蔵を突き飛ばした菊千代に向けて
刀を振り被る黒い影。

「――――菊千代!!」

 間に合わない。
 白刃が閃く。
 菊千代。

「菊千代――――ッ!!!」





       続く





おっさまとシチさんが登場。これでやっとお侍が全員揃いました(カツの字は名前だけですが)。
遂に告白か、と思われましたが……そう上手くは行きません(苦笑)。
三話、四話と物凄い難産でした。でもラスト、アクションパートに入ると途端に筆の滑りが良く(爆)。