第五話 たった一つだけの、ささやかな願いは



 ――――ガァンッ!!

「ッ!?」

 伸ばした手の先で重い銃声が響き、菊千代に振り下ろされた刀は中心から折れる。
更にガン、ガンと続け様に銃弾を撃ち込まれ、その勢いに押され黒い何かは手摺りの
向こうへ落下して行った。がしゃん、と遠くで金属音が聞こえる。
 振り返れば、階段の上に拳銃を片手で構えた五郎兵衛の姿。銃口からは煙が立ち
昇っている。

「ゴロの字!!」
「大丈夫か、菊千代」

 五郎兵衛はさっと駆け寄り、菊千代を助け起こす。

「俺は平気だ。それより、あいつら……」
「某も先程、勘兵衛殿から連絡を受けて飛んで来たのだ。後退した本隊はデコイ……
奴ら斥候の侵入を偽装する為の囮だとな」
「海から地下を通って来やがったのか……畜生、やられたぜ」

 眉根を寄せて海の方角を睨み付ける菊千代。その横顔には、今まで見た事の無い
色が浮かんでいた。
 しかし、表情自体には見覚えがある。時折、流されるニュース映像に映る人々――
武器を持ち、迷彩服を着込み、戦場を駆け抜ける人々の顔付き。

 それは使命感と正義感に満ちた、軍人の顔だ。

 そう思い当たって、漸く久蔵は五郎兵衛と言う男に感じた違和感が何なのかを理解
した。この日本であんなもの――拳銃、しかも相当厳めしい――を持つ以上、軍人に
違いない。隙の無い身のこなし、正確な射撃。久蔵の素人目にも相当訓練されている
のがわかる。ならば。
 その五郎兵衛と関わり、自らも兵士の顔をしてみせる菊千代は。
 自分たちを襲ったあの歪な黒い人影は。
 何なのだ。

「菊千代……」

 久蔵の呼び掛けに、一瞬肩を強張らせる菊千代。しかし、振り向いた時には困った
ような笑みを浮かべて。
 その笑顔が、久蔵には今にも泣き出しそうに見えた。
 無性に菊千代を抱き締めたい、と思う。
 だが手を伸ばせば届く筈なのに、何故か体が動かない。

「久蔵。オメェに頼みがある」
「……何だ」
「オメェ、逃げろ」

 それは。どういう。

「ゴロの字、こいつを頼む」
「……ああ」
「菊千代!!」

 言うが早いか、菊千代は立ち上がり手摺りに近付いて行く。校庭に向かうつもりだと
察して引き止めようと足を踏み出しかけたが、五郎兵衛が前に立ち塞がって阻んだ。

「どけ……!」
「ご冗談を……」

 級友を震え上がらせる久蔵の眼光にもやはりと言うか、五郎兵衛は全く動じない。
無駄とわかっていて尚、五郎兵衛を睨み続ける久蔵に、手摺りの上に立ち上がった
菊千代が振り返った。

「……頼む、久蔵。俺はお前に……死んで欲しくねぇ」
「何を……」

 現実離れした状況の連続に、久蔵の声帯は麻痺してしまったのか。
 ただでさえ不得手な言葉が余計に見付からない。
 菊千代は前髪をくしゃりと掻き揚げて、場違いに明るい声を上げた。

「あーあ、本当にタイミング悪ィのな! 何で――今日、なんだよ」
「………………」
「何で……選りによって、お前に、見られちまうのかなぁ……」

 それは何かを諦めてしまったような、泣き笑いで。

「菊、千代……?」

 そんな顔を初めて見た久蔵は、指先が痺れて感覚を失って行くように感じていた。
腕を這い上がる何かが、ちりちりと久蔵の内側を焼き始める。

「……逃げてくれよ、頼むから」

 菊千代が、笑った。

 そう理解するのと、菊千代の背後に奇妙な形の機械が飛び出すのは同時だった。

「菊千代ッ……!!」

 先程の黒い人影とは違う。細長く尖った手足に、腰だけが異様に大きい淡紅色の体。
丸い頭には、緑色の目らしきもの一つがあるだけだ。

「!!」
「兎飛兎かッ!!」

 ――――ドンッ!!

 五郎兵衛が短く叫んで銃を撃つが、機械は宙を蹴るように飛び跳ねてかわす。

「何ッ!!」

 『とびと』と呼ばれた機械は更に空中を蹴り、その尖った手を勢い良く菊千代に突き
出す。あんなもので串刺しにされたら、命は無い。

「菊千代ッ!!」

 ――――ガキィンッ……!!!

 しかし、切っ先は既の所で赤茶けた金属に阻まれた。

「……よぉ、残念だったな」

 突如として現れたのは、巨大な刃を持つ大刀。いつの間にか菊千代の手に握られ
ていた大太刀が、文字通り鍔際で兎飛兎の攻撃を防いでいたのだ。だが、あんなに
大きな物を一体どこから。
 ただただ瞠目するしかない久蔵の目の前で、兎飛兎が菊千代から離れて間合いを
取った。一つしかない緑の瞳が強い光を放ち始める。

「ゴロの字!!」
「伏せろッ!!」
「!?」

 兎飛兎の目から光の束が伸びた、と思った時には久蔵は地面に引き倒されていた。
スローモーションのように流れる景色の中で、久蔵は正眼に構えた菊千代の大刀が
大きく震えるのを見た気がした。

 ――――キイイィィィィィ……ッン!!!

 何かが擦れるような澄んだ高い音が太刀から響き、兎飛兎から発せられた光線を
弾いて分散させる。僅かに遅れて風圧が二人を襲った。

「な…………」
「っ、流石は超振動……!」

 感嘆する五郎兵衛の声はどこか楽しそうだ。菊千代は自分の背丈と同等の長さを
持つ大太刀を振り被り、兎飛兎に迫る。

「うおりゃああああああっ!!」

 紙一重で菊千代の斬撃をかわした兎飛兎は、攻撃を悉く防がれて窮したのか変形
して上空へ舞い上がった。あそこなら反撃を食らわないと言う事か。位置を変えた瞳
から、再び光が放たれる。

「―――無駄だッ!!」

 やはり光は大太刀に弾かれ、流れ弾が地面に当たって僅かに砂塵を巻き起こす。
それを振り切るように兎飛兎へ向け跳んだ菊千代の姿に、久蔵は目を見張った。

「そんなところに逃げたってなぁ!!」
「!!?」

 菊千代が吠えた途端、菊千代の背中を何かが突き破った。太陽の光を受けて白銀
色に輝くそれは瞬く間に巨大化し、その姿を太陽の下に晒す。
 それは金属で出来てはいるが、紛れも無く。

「――――翼……!?」

 菊千代の背に生えた翼は淡い燐光を放ち、瞬時に兎飛兎との距離を詰める。

「これで……終わりだあッ!!」

 裂帛の気合と共に振り抜いた刀が兎飛兎の体を砕く。制御を失った残骸は空中で
爆発、四散した。

「……菊千代…………」

 久蔵は菊千代を見上げる。その視線に気付いたのか、遥か上空の菊千代も久蔵を
見下ろしたようだった。
 やがて、ふわりと音も無く菊千代が降りて来る。その姿は、何かを思い出させた。
 久蔵が言葉を探している内に、五郎兵衛が菊千代に駆け寄る。

「どうだ、他にNobodyはいなかったか?」
「大丈夫だ。もう砂埃も収まってるし、校庭に大穴が開いちまった以外は……」
「そうか。では某は連絡をして来る、少し待っていろ」
「おう」
「――――ッ」

 携帯電話を手に階段を下りて行く五郎兵衛を見送って、菊千代が久蔵を見た。その
琥珀色の双眸に浮かぶ色が見えずに、久蔵は困惑する。
 何もかもが、突然過ぎた。
 頭がまるで追い付かない。
 何が起きたのか全くわからない。
 これは夢か。それとも幻か。
 わからない。
 あれは何だ。
 何故菊千代を襲う。
 菊千代は一体何だ。
 何故あんな事が出来る。
 どうして、あんな風に戦える。
 わからない。
 ただ一つわかるのは。
 久蔵が事態を理解していようがいまいが、今全て終わってしまったのだ。

「…………」
「…………」

 声が出ない。言葉が出ない。
 何を言いたいのかわからない。
 何を言えばいいのかわからない。
 わからない。
 何と言ったら、菊千代は笑ってくれるのだろう。
 わからない。わからない。
 菊千代。
 菊千代、俺は。

「――――すまねぇ」
「ッ」

 知らず知らずの内に落としてしまっていた視線を上げると、菊千代がすまなさそうに
笑っていた。
 違う。
 俺が見たいのは。

「こんな事に巻き込んじまって、本当にすまねぇ……」
「…………菊千代、お前、」

 掠れる声でやっと言葉を口にすると、菊千代の手が大太刀の柄を握る力を強めた。

「俺……もう、人間じゃねぇ……兵器なんだ」
「……兵、器?」

 菊千代が、兵器?
 それは一体どう言う事だ。
 兵器とは、武器だ。
 菊千代は生きているではないか。
 今、生きて、久蔵の前にいるではないか。

「出来ればよ……知らねぇでいて欲しかった」

 機械の翼と、赤い太刀を携えたまま、菊千代は続ける。

「お前に、こんな姿……見られたくなかった」
「菊千代……」

 反射的に腕を伸ばす。
 何もわからない事だらけだったが、それでも。
 菊千代に、触れたかった。

「菊――――」

 その刹那。

 ――――ドゴォッ!!!

 久蔵の背後の地面を突き抜けて、兎飛兎が現れた。

「!?」
「ッ、しまっ……――――!!」

 菊千代が大刀を構えるより早く、兎飛兎はその目から光を走らせる。
 だが、久蔵の頭に避けると言う選択肢は存在しなかった。
 よければ、菊千代に当たる。
 一瞬で光が視界を埋め尽くした。

「久蔵――――――――ッ!!!」

 菊千代の叫びが、遠くの方で聞こえる。
 全身の感覚が無い。
 目に映るのは青い空と、赤い血。
 どうせなら、菊千代の髪の色が見たい。
 あの優しい色を。

 そして、久蔵は意識を手放した。





 菊千代の悲鳴を聞き付けて駆け戻った五郎兵衛の前にあったのは、右肩から血を
大量に流して気を失っている久蔵と、泣きながら彼の体を抱き抱える菊千代の姿。
 傍らには兎飛兎らしき機械の残骸が散らばっていた。

「何と――――」
「久蔵、久蔵ッ……!! しっかりしろ、目ェ開けろよ!!」

 五郎兵衛は繋がったままの電話の相手に救急を要請して、菊千代に駆け寄る。

「菊千代!」
「あ……ゴロの字、どう、し、血、きゅうぞっ、血が、止まんねぇっ……!!」
「落ち着け!! 今救急隊を呼んだ、大丈夫だ死にはしない!」
「でも……!!」

 不安に揺れる瞳から涙を流し続ける菊千代。白いシャツは真っ赤に染まり、傷口を
押さえる手も血みどろだ。まさか、こんな事になるとは。
 顔をしかめて五郎兵衛はスーツの上着を脱ぎ、久蔵に止血を施す。傷はかなり深い
ようだった。地面に広がる血液の量からして、事は一刻を争う。

「俺の……俺の所為だ……!!」
「やめんか、菊千代!」
「俺がちゃんと集中してりゃ、久蔵は……!!」
「菊千代ッ!!!」

 大声で一喝すると、びくりと体を震わせる。
 五郎兵衛は嘆息し、菊千代の髪をそっと撫でた。

「…………ゴロの字……」
「彼は大丈夫だ。若いし体力もある。それに――正宗殿の腕はお前が一番良く知って
いるだろう? 心配いらん」

 菊千代も良く懐いていた医者の名を出すと、漸く落ち着いたようだ。

「……そう、だよな。マサの字なら……」
「ああ、きっと助けて下さる」

 涙を拭いた菊千代の肩を、五郎兵衛は優しく叩いた。





「手術は成功だ。食らったのがビームの方で良かったぜ。傷が焼けてたお陰で、見た
目程血を失っちゃいなかったよ。何より若かったからな」
「…………良かった……」

 手術を終えて出て来た正宗の言葉に、菊千代は糸の切れた人形の如く廊下に崩れ
落ちた。隣にいた五郎兵衛がすかさず支える。

「神経の方も無事だったし、後遺症は残らねぇ。縫合が済んだら街の病院に移すぜ。
ま、一週間もあれば退院出来るだろ」
「すまねぇマサの字、本当に……ありがとよ」
「なーに、いいって事よ。それよりキクの字、オメェは怪我はねぇのか?」
「お、おう」

 菊千代が頷くと、正宗は満足げに笑って手術着を脱ぎ捨てた。

「じゃ、俺はこれで。ちっと寝てくらぁ」
「お疲れ様です」

 労う五郎兵衛の言葉に、廊下を進む正宗は片手を上げて応えた。その背中が角を
曲がって消えてから、菊千代は反対方向に歩き出した。
 五郎兵衛は訝しげに後を追う。

「菊千代? どうした」

 言外に久蔵を待たないのか、と訊ねる五郎兵衛に、菊千代は振り返らずに答える。

「俺は、守る為に兵器になった。なのに……俺は久蔵を、友達を、守ってやれなかった。
あいつに合わせる顔なんか…………ねぇ」
「菊千代……」
「Nobodyの奴ら……やっぱり、俺に気付いてやがる。よくわかんねぇけど、多分気配
みてぇなモンだと思う。俺の中の、兵器の気配に。だったら」

 菊千代は足を止め、振り返る。

「俺は……あいつらの傍に、いるべきじゃねぇ」
「…………」

 久蔵の血で汚れたままのシャツの胸を、ぎゅっと握り締める。

「奴らが日本に来たのだって、きっと俺が原因なんだ。だって俺は、奴らと同じ――」
「――菊千代!」
「!?」

 言い終わる前に、五郎兵衛は菊千代を抱き締めていた。

「ゴロの字……?」
「もう言うな、菊千代」

 戸惑う菊千代の背中は『翼』の為に肌が剥き出しになっていて痛々しい。抱き締める
腕に、殊更力を込める。
 体は大きくとも、この子はまだ十七なのだ。
 それがこのような重責を背負わされ、独り軍に身を置いて。
 挙句の果てに、年頃の子供らしい生活まで手放そうと言うのか。
 この子こそ、巻き込まれた被害者なのに。

「お前に罪など無い。自分を責めるな」
「……けど、俺は……」
「某はお前の傍を離れん。だから……そんな顔をするな」

 今にも泣き出したいのに、それを必死で耐えている。
 心を殺して、兵器になり切ろうとしている。
 誰よりも感情豊かな子供が、心を持たぬ兵器にと。
 そんな事を、見過ごせるわけが無い。

「例え、上に何を言われようとも……某がお前を守ろう。死ぬまで、ずっとな」
「五郎兵衛……」

 ゆっくりと背中に回された腕が、酷く暖かかった。





      続く





とうとう久蔵に正体がバレてしまった菊千代。二人の運命や如何に?(笑)
既にお気付きかと思いますが、「Nobody=野伏せり」です。因みにゴロさんに撃たれたのは耳木菟。
「Nobody」はアメリカ軍が付けたコードネームで、和名は研究所が付けた個体識別用の名前です。
発音はバディでなく敢えてボディと読んで下さると私が嬉しい(何)。