2月14日、バレンタインデー。
 親しい人やお世話になった人に、メッセージカードやプレゼントを贈ったりする日。

 ……そんな俺の認識は、浮付いた街の空気にすっかり塗り替えられてしまった。

 街を染める色は例えるなら……ええと、そう。とっても可愛いピンク色。



     <Sweet anagram>



 それは丁度昼食の後片付けを終えて、一息ついた時だった。
「ハーイ、皆! ハッピーバレンタイン!」
「エイプリル?」
 エレベーターが開きピンクのリボンを巻き付けた籠を提げたエイプリルが顔を出す。
それと同時に、ほんのりと甘い香りが外の空気と共に俺の方まで漂って来た。これは
……チョコレートの香り?
「わー、どしたの? チョコいっぱーい!!」
 俺が匂いの正体に気付く前に、食いしん坊の弟が素早くエイプリルに駆け寄る。こう
言う時の嗅覚の鋭さには全く感心させられるな。
 飛び付くように籠を覗き込んで歓声を上げるミケランジェロに微笑んで、僅かに首を
傾げるエイプリル。それがねぇ、と不思議そうに頬に指を当てた。
「よくわからないんだけど、最近はバレンタインにチョコを贈るのがブームらしいのよ」
 お店に行ったら大々的に宣伝されてて、つい沢山買ってきちゃったの。と苦笑い。
「あー、それ日本で流行ったってアレでしょ? ほら」
 エイプリルの言葉にドナテロが椅子をくるりと回してパソコンに向き直り、たたんたん、
とリズミカルにキーボードを叩いて画面上に一つのウィンドウを表示させる。いつもの
ようにサンドバッグを相手に運動していたラファエロも混ざり四人揃って覗き込むと、
それはインターネットのサイトのようだった。ページの上部に『日本のバレンタイン』と
言うタイトルがつけてある。
「えーと……何々?」
 写真入で紹介されている文章には西暦何年頃から始まった、とかどこそこのお菓子
会社の陰謀である、とか色々書いてあったけど、一番目を引いたのはこの一文。
「『女の子が好きな男の子にチョコをプレゼントして告白をする日』? 何か……元の
バレンタインと違わないか?」
 俺の認識では、バレンタインプレゼントの贈り主に男女の別は無い筈だけど。
 思わずそう呟いた俺に、ドナテロが肩越しに振り返ってそうでもないよ、と笑った。
「確かに女の子から男の子に贈るものだ、って限定されてるのは変わってるけどね。
近頃じゃ友達同士でも贈り合ったりするらしいし、そもそもバレンタインは愛の記念日
みたいなものだから」
「そうなのか?」
「うん。古代ローマで禁止されてた戦士の結婚を隠れて執り行って、処刑されちゃった
司教聖ヴァレンティヌスの記念日なんだよ」
「女の子に取っては勇気を出せる特別な日、ってとこかしら。ロマンチックよねぇ」
 うっとりと目を細めるエイプリル。確かに、女性の好きそうな話題ではあるよな。
 なんて思った瞬間、画面の文字を追っていたミケランジェロがニヤニヤと笑いながら
エイプリルの顔を見た。
「へー、本命チョコとか義理チョコとかあるんだぁ。エイプリルは本命誰にあげるの?」
「もしかして、ケイシ」
「や、やだちょっと!! 何言ってるのよマイキーったらもう! ラフまで!」
 ラファエロの台詞を慌てて遮って、エイプリルは真っ赤になりながら辺りを見回す。
「そ、そう言えばスプリンター先生は? 先生にもチョコを差し上げなくっちゃ」
 あからさまに挙動不審な様子に、思わず笑みが零れてしまう。ドナテロも口元を手で
隠しながらも、彼女に助け舟を出してやることにしたようだ。
「先生なら部屋で瞑想中だよ〜」
「OK、じゃあ先生の分をお渡しして来るわね。失礼!」
 早口で捲し立てて優雅に、しかし足早に立ち去るエイプリル。彼女の姿が襖の奥に
消えてから、俺たちは顔を見合わせて一頻り笑い合った。
 ホント、これで少しは二人の仲が進展するといいんだけどな。
 大人の癖に青春ドラマの高校生みたいな遣り取りばっかりの姿を思い出してくすりと
笑うと、不意に突き刺さるような視線を感じて我に返る。
「「「……………………」」」
「……何で皆して俺を見るんだ」
 居心地の悪さを感じて言うと、弟たちが一斉にがば、と背筋を伸ばして立ち上がった。
「え? いやー何でも? あ、いっけない上のパソコンの演算処理もう終わってるー」
「そうだオイラ見たいテレビあったんだー」
 偉く一本調子な様子でそそくさと立ち去るドナテロとミケランジェロ。その余りにも
空々しい姿に思わず声を掛けそびれていると、いきなり背後から肩に腕を回される。
「!」
「なぁ、レオ」
 耳元で猫撫で声を出すラファエロ。……何なんだよお前たちはさっきから……!
「……何だよ」
「いっくらお前が天然だっつってもよ。もう逃げられねぇ事ぐらいわかんだろ?」
「な……んっ!?」
 何の事だ、と言おうとした言葉ごと、ラファエロに飲み込まれる。
 こ、こんなとこで……!!
 慌てて抵抗しようと拳を握り締めた瞬間、俺は思ったよりもあっさりと解放された。
「じゃな。楽しみにしてるぜ?」
 ニヤリと舌なめずりをして背を向けるラファエロ。
 俺はと言えば言い返すことも出来ずに、ただ呆然と立ち尽くすしかなくて。行き場を
失った拳を持て余して机を殴ってしまってから後悔した。痛い。思わず溜息が洩れる。
「……そもそも、俺、女の子じゃないだろう……」





 いつもならそろそろ夕食の支度をし始める時間になってから、俺は漸く部屋を出た。
リビングに下りて行くと、テレビの前のソファにミケランジェロ、パソコンの前にドナテロ、
サンドバッグの傍にラファエロ、と定位置にいる弟たちが目に入る。エイプリルはもう
帰ったみたいだ。挨拶しそびれちゃったな。チョコのお礼もしてないし。
 ……チョコか。
 自分の思考でネガティブになる俺の姿を見付けて、ミケランジェロが声を上げた。
「あっれー? レオちゃんってば服なんか着てどこ行くの?」
 途端に残り二人の目がこっちを向くのが見なくてもわかる。俺は出来るだけそっちを
見ないようにしながら、努めて冷静に返事をした。
「……買い物だよ。そろそろ食材減って来たから」
 一応、俺の名誉の為に言っておくが、これは嘘じゃない。昨日台所チェックした時に
大分少なかったから、今日にでも買い出しに行こうと思ってたんだ。調味料はこの間
沢山買っておいたから大丈夫だけど、牛乳とかシリアルとかをやたらに消費する奴が
いるからな。牛乳は保存が難しいからいつも幾つ買うか悩む。下手すると前みたいに
何ヶ月も家を空けてダメにする、何てこともあるから困るんだよ。
「そうなんだー気をつけてねー」
「じっくりいいの選んで来いよー」
 普段なら真っ先に同行を求めるラファエロが笑顔で見送ってくれる。
 ……出掛ける前から挫けそうだ。
「行って来ます……」





 大々的に宣伝されていた、と言うのは誇張表現でも何でもなかったようだ。
 スーパーに入った瞬間目に飛び込んできたのは、ハートをあしらった赤やピンクの
飾り付け。いつもなら安売りの商品を並べている陳列台には綺麗にラッピングされた
チョコレートが山のように積み上げられている。
 チョコの山を取り囲んできゃあきゃあと盛り上がっている女性達にぶつからないよう
気を付けながら、俺は店の隅からカートを引っ張り出した。
「……ホントに、流行ってるんだな……チョコレート」
 両手に違う商品を持ってうんうんと唸っている子もいれば、一度手に取った品を棚に
戻して別のを取ったかと思えばまた戻す、を繰り返している子もいる。きっと皆、付き
合ってる恋人や片思いの相手に贈る為に、必死に悩んでるんだろう。彼女達の顔を
見て、とても楽しそうだな、と俺は思った。
 同時に耳の奥でエイプリルの言葉が蘇る。

「女の子が、勇気を出せる日、か……」

 ――っていやいやいやいや!! 俺は男だぞっ!? 何考えてるんだ!!
 俺はラファエロの顔なんか思い出してもいないし顔が熱いのはマフラーを巻いてる
所為だ店内は暖房が効いてるからな。そうに決まってる!
 ぶんぶんと頭を振って、俺は小走りで生鮮食品売り場へ向かった。





 買い物袋を抱えて我が家に戻ると、全開の笑顔で出迎えられる。
「あっ、お帰りーレオ!」
「遅かったね……って何それ」
 ダイニングのテーブルに下ろした袋を見て怪訝な顔をするドナテロ。俺はマフラーを
外しながら事も無げに言う。
「ただいま。何って……スーパーの買い物だよ。言っただろ? 食材足りないって」
「そりゃあ確かに……言ったけどさぁ」
 まさかホントに食料だけなんて。野菜や果物、シリアルの箱なんかが覗く袋を眺めて
ドナテロが僅かに肩を落とす。ミケランジェロがその後ろから声を上げた。
「ええー!? じゃあチョコはー?」
「何言ってるんだ。チョコならエイプリルに貰ったのがいっぱいあるだろう?」
「ちぇー! レオからもらえると思って楽しみにしてたのにぃー!」
「……ま、レオの事だからあんまり期待はしてなかったけどさ」
 ドナテロは小さく肩を竦めて、キッチンから出て行った。
 言葉とは裏腹にかなり残念そうな二人に少し胸が痛んだが、顔には出さない。もう
夕食の準備をするからとまだ口を尖らせているミケランジェロを追い立てて、俺は服を
脱ぐ為に自室へ向かう。ドアを開けかけたその瞬間、いきなり顔の横から掌が伸びて
扉を押し戻した。
 ……来るとは思ってたけど、さ。
 閉められてしまったドアに目を伏せて、俺は目だけで後ろを振り返る。
「おかえり」
「ただいま。悪いけど、着替えたいから手をどけてくれ」
「その前に、何か渡すもんがあるんじゃねぇの?」
 くすくす笑いながら囁くラファエロ。ドナテロとミケランジェロが貰えなくても、自分だけ
貰えると思ってるらしい。その自信はどこから来るんだか。それより、じわじわと体を
押し付けてくるのをやめて欲しい。暑い。
「わかってんぜ? どうせクソ真面目なお前のことだからよ」
 俺は大きく息を吐いて、ラファエロの腹に渾身の力を込めて肘鉄を食らわせた。
「義理チョコなんてー、とか考ぇおぐっ!?」
 ラファエロが変な声を上げてその場にうずくまる。さっきの拳の分も入っているとは
言え、少し強すぎたかな。……決して図星を指されたからとかじゃない。断じて。
「て、てめぇ……何しやがる……」
「自業自得だ。それから」
 腹を抱えて呻くラファエロをよけてドアを開け、ピンクの紙袋を赤いリボンで結んだ掌
サイズの紙包みを目の前に置いてやる。やめようかとも思ったけど、一応ラッピング
用品を買って自分で包んだものだ。ラファエロの目が僅かに見開かれる。
「このパスワードを解かない限り、この扉は開けないからな」
「……え」
「じゃ、皆に宜しく」
 それだけ言って、ラファエロの返事を聞かずに戸を閉めて鍵をかける。
「…………はあああぁぁぁぁ……」
 ぺたりと床に座り込んだ。途端にどっと汗が出る。顔が熱い。
 情けないけど、本気で腰が抜けるかと思ったんだ。
 もしラファエロが暗号の意味に気付いたら、その後俺がどうなるかは火を見るよりも
明らかなのだけれど。
 でも、渡してしまった。
 もう後戻りは出来ない。
「お、おい! レオ!?」
 腹の痛みが漸く引いたのか、ラファエロがドンドンとドアを叩く。
 けれど天岩戸を決め込んだ以上、たとえ先生が来てもこの扉は開けられない。
 息を潜めてじっと様子を伺っていると、がさがさと袋を開ける音が聞こえた。きっと、
中身を見てラファエロは面食らった顔をしているだろう。
 袋の中身は、ごく普通のダイスチョコ。台形で、一口サイズのよくある奴。おやつに
買った徳用パックの袋から少しだけ取らせて貰ったもので、表面にはアルファベットが
刻まれている。

 E、I、L、O、O、U、V、Y――全部で八つ。この文字が、合言葉。

「れ、レオ……? あの、これ」
Password?(合言葉は?)
 歌うように告げてやれば、うぐ、と詰まるような声が聞こえて。
「……ま、待ってやがれ! すぐに解いてやるからな!!」
「誰かに聞くのはなしだぞ」
 一人だけチョコを貰っている以上、その可能性は低いけれど。
 俺は精神的な疲労でだるい体を引き摺って、布団の上に倒れ込んだ。ドアの向こう
からはうぅーん、と言う唸り声が引っ切り無しに響いて来る。
「……俺も頑張ったんだから、頑張ってくれよ? ラフ……」

 これが解けたら……俺は、お前を受け入れると決めたから。
 出来れば、日付が変わる前に解いてくれよな?
 俺の我侭で、家族を飢え死にさせるわけにはいかないし。

 それに何より。……俺の覚悟、無駄にしてくれるなよ。


 ――ラファエロへ、愛を込めて。





     END





遅れに遅れたバレンタイン小説でしたorz
折角五月頃からネタ暖めてたのに(どんだけ)出せないとか悔しいじゃないですかw
GOサイン出して下さった某さんありがとうございました……!!(敬礼)
てか兄が乙女だ(笑)。久し振りの兄さん視点結構楽しかったです。
海外でもバレンタインと言えばチョコの法則がかなり浸透してると知ってビックリでした。
昔イギリスの先生に聞いた話では男女の別無しで色々贈り合うと聞いたもので。
時代は変わるものなんですねぇ……(何)